フランス人のジェロム・ルップさんは、香川県三豊市豊中町で一番若いブドウ農家です。8月に初出荷となったジェロムさんのシャインマスカットは、市場から高評価を得て、東京や大阪へ出荷されています。
2016年に農業を志したジェロムさんは、ブドウ農家の矢野和夫さんと妻の康江さんに弟子入りし、今に至ります。取材を進めていくと、ジェロムさんと矢野さん夫妻の間にある、厳しくも優しさにあふれた師弟関係が見えてきました。
農業と縁のない生活から、ブドウ農家を目指す
ジェロムさんは故郷のフランス・アルザス地方にある大学で日本語を学び、来日して大阪で会話力を磨きました。
10年以上語学講師などをしていた大阪は、人が温かくユーモアにあふれ、ジェロムさんが“実家に近い感覚”で過ごせた場所だったそうです。
「今でも気を抜くと、関西弁が出ます」
その後、妻の実家・香川県三豊市に移住した際「大自然の真ん中で、自分1人でできる仕事」に出会います。それが農業でした。
それまでは農業に縁のない生活でしたが、生まれ育ったアルザスは緑豊かな大地。緑で落ち着く性分だったジェロムさんは、親戚の農家の手伝いをするうちに農業に興味が沸き、ブドウ農家としての独立を目指します。そうして出会ったのが、ベテラン農家の矢野和夫さんと康江さんでした。
唯一の弟子入りを認められた
矢野さん夫妻はジェロムさんに出会うまで、農協から紹介されるインターンを断り続けていました。しかし「この人ならインターンしてもいい」と、ジェロムさんの弟子入りを認めたと言います。
ジェロムさんは親戚を手伝う時にも朝5時前から誰よりも早く畑に行き、なまけることなく、メモや写真を必ず取っていたそう。その姿勢を矢野さん夫妻は見てくれたのかもしれない、と振り返ります。
「僕は、やらなあかんことを、やらなあかん時に、やっていただけなんですよ」
指導は厳しく、けれど何でも言い合える間柄
そうして3人の師弟関係は始まりました。矢野さん夫妻はジェロムさんのために、指導用のピオーネの枝を作るほど、思いやりにあふれていました。「相談の電話をすると、5分以内に畑に来てくれるほど優しい」そう。
しかし、「適当なことをすると、適当な房しかできない」と完璧主義な康江さんは、指導では厳しさを見せます。ジェロムさんが足りていなかった管理に対して「……これ、しないの?」と一言だけズバリ。「その言い方に、僕はひやっとするんですよ」とジェロムさんは、ぶるぶると震えます。
「矢野さんたちは自分にも厳しい人だから、僕を同じように扱ってくれたんです。単に厳しくしようとしている訳ではないんです」
3人は、何でも言い合える間柄。昼夜ほどの差があるという優しさと厳しさは、互いが持つブドウ栽培への情熱の証かもしれません。
初出荷で高評価
シャインマスカットは、木の成長から収穫まで5年かかります。その間、ジェロムさんは矢野さん夫妻の元で勉強しながら「量より質に集中しよう」とバランスを大切にし、露地栽培で自分の木を育成しました。
シャインマスカットの作業は、4月から9月は毎日休みなし。8月22日から始まった出荷作業では、毎日180前後の房を早朝5時に収穫。農協による糖度検査をクリアしたものだけが市場へと出荷され、翌日には百貨店やスーパーに並びます。
「今年は台風と大雨がひどかったのですが、木の若さと勢いのおかげで、房の形が守られました」
ジェロムさんのシャインマスカットは、初出荷にもかかわらず、約9割が市場で高評価を得て、東京や大阪へ出荷される快挙を果たしました。
「市場から褒めてもらえると達成感もありますが、まだまだ納得がいかない。消費者の元に届く時の値段のことを考えると、もっと完璧なものを作らないと、と思うんです」
「矢野さんたちの完璧主義が移った」と話すジェロムさん。農園に立つ目線や作業は、すでに来年の収穫を追いかけていました。
地域のコミュニティに溶け込みながら
ジェロムさんは地域のコミュニティにも顔を出し、水路掃除などを積極的に手伝っています。おすそわけや物々交換などで交流を深め、明るい雰囲気の中で過ごしています。
「豊中町のブドウ農家で、すぐ上の先輩は、僕より20歳年上。自分の親のような年代の人たちに囲まれています。僕の故郷の村も、人口が150人ほど。村がまるで1つの家族のようでしたよ」
故郷と、豊中町での過ごし方が、重なるかのようです。大家族のような雰囲気の中、地域のコミュニティにすっかり溶け込むジェロムさん。これからも矢野さん夫妻の温かくも厳しい指導の元、シャインマスカットの木々と共に“楽しい農業”を目指します。
2021年のシャインマスカットは出荷を終えましたが、三豊市にあるジェロムさん一家が営むカフェ・グルマンディーズで、タルトとして9月末まで提供される予定です。