流暢な英語を扱いながらYouTubeチャンネルで外国の視聴者へフレンドリーに語りかけるのは、愛媛県松山市を拠点とするオフィス・セイケ CSTOYS INTERNATIONALの清家正亀さん。
農家に生まれ、海外農業研修で渡米して経験を積み、帰国後は英語教師やラジオパーソナリティ、TVレポーターなど、数多くの経験を積む中で、今は特撮の戦隊モノのおもちゃをYouTubeやTwitterなどで紹介し、海外に販売するという「越境EC」を手がけています。
コロナ禍で大打撃を受ける中、これからの復活にかける展望を聞きました。
「Tokusatsu(特撮)」という言葉は海外でも
「お客さんに圧倒的な人気があり、目を光らせているのは最初のパワーレンジャーシリーズ」
清家さんが扱う商品はウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊シリーズなど、特撮モノのおもちゃ。合体ロボや変身ベルトなどのカテゴリの注目度も高く、50年という歴史に裏付けされたファン層が海を越えて存在します。もちろん特撮という分野は日本が作り上げた分野ですが、海外の現地にローカライズされたパワーレンジャーなどは高い人気を誇ります。
初代のパワーレンジャーは、日本でいうところの恐竜戦隊ジュウレンジャーが海外に移植されたもので、海外の顧客の原点だと言います。今では顧客も年齢を重ね、親子でパワーレンジャーのビデオを楽しむというのがキーワードになっています。
インターネットで情報が手に入るようになった今では、清家さんはYouTubeで商品や遊び方の説明をしたり、国際郵便で出荷する前に梱包した商品の写真をTwitterでアップして事前に安心を届けたりと、日々海外の顧客に寄り添った対応をしていました。
しかし2020年、新型コロナウイルスの影響のため、商品を物理的に届けるために使っていた国際郵便がストップし、海外に配送できない状態が1年以上続くことに。自分たちの飛行機を保有する国際貨物であれば配送はできますが、コスト的には割高になります。そこでブログやYouTubeを用いて顧客と話しながら説明することで、十分に理解してもらえるよう動きます。あくまでも顧客の側に寄り添った対応をここでも心掛けました。
例年レベルまで戻らないビジネス。今後どう変えるか
丁寧な顧客対応があったとしても、越境ECの売上は例年のレベルまでは戻っていません。ビジネスモデルの変更も模索する中で清家さんが大事にしている部分は、地域の人が地域で作っているおいしいものや素晴らしいプロダクトを海外へ紹介するという点です。
実際にチャレンジしたのは、地域の人が作ったレトルトパウチに入ったオレンジジュースの商品。これをYouTubeで紹介し、試食・レポートしてくれる人を海外から募ったのです。応募者の中から5名を選び、実際に試してもらった感想をYouTubeのレビューに掲載しました。そのレビュー内容をオレンジジュースの製造販売者にフィードバックすると、とても喜んでもらえたと言います。
生産者と顧客の両方に寄り添うというポリシーは、どのような経緯で出来上がったのでしょうか。
「英語、コンピューター、農業のバックグラウンド」が1つに
清家さんが渡米したのは1980年代の2年間。海外農業研修制度を利用して、ワシントン州、カリフォルニア州に滞在。現地の農場やナーセリー(Nursery)という苗を栽培する場所でセールスマンなどの仕事を経験しました。
実家が農家のため、帰国後も農業関係の仕事を続けていました。しかし自分が培ったものを活かしたいと英語教師を始めたところ、Inteational CyberFairという世界的なホームページコンセストの存在を知り、1998年、当時の教え子の学生と2人でプロジェクトを立ち上げてコンテストに応募しました。
愛媛県の中島(なかじま)というみかんを生産する島が台風で壊滅的な影響を受けた時に、その地域の人たちが頑張って自ら盛り上げているというストーリーを、ホームページを使って発表するというものでした。その内容が評価され、Local Specialities(地域特産物部門)で世界2位の結果を勝ち取ることになります。
「世界と繋がることで地域の物語がちゃんと評価されるんだ、ストーリーをしっかり見つけ、ちゃんと発信することが大きな成果になったんだと、僕たちは思いました」
この後、留学アドバイザーとして勤務していた2008年頃、日本のオタク系おもちゃが好きな米国現地スタッフが松山市に遊びに来た時に「トイザらス」へ連れて行くこととなります。そこでは交代期のためにワゴンセールで積み上がったおもちゃがありました。それを見た現地スタッフから発せられた「正亀、これはビジネスになる」の一言によって、越境ECが産声を上げることとなります。
特撮は清家さん自身も子どもの頃から接していて思い入れがある分野。少々疲れていても、時間がオーバーしても、この分野の話し合いであればエネルギーが出てくると、目を細めながら言います。
西日本豪雨、コロナ禍を経験して
清家さんの実家は愛媛県宇和島市吉田町の農家で、蔵もあり、120年ほどの歴史がありました。その歴史のある家をいつか海外の人が泊まれる場所にしたいとの思いを募らせていたものの、2018年の西日本豪雨の影響で裏山が崩れ、建物の中に土砂が入ってきたのです。
「もう僕が描いていた、海外の友人が宿泊できて、地域を楽しめるというプランは消えましたよね。今の僕にでもやっぱり心の中に負荷がかかっていますね」
しかし、「まだまだ若い、挑戦したいことがまだまだあるんだよ」と前を向いています。
「特に若い人は悩んでいると思う。自分もそうだった。でもちゃんとチャンスに恵まれていれば発芽すると思っている。まず種です。その種を皆さんが発芽させて成長させて肥料を与えて太陽光線をあてて自分の中で育成していく。それをやってほしい」
それが何かと尋ねると、教育であったり、色々な人に出会ったり、留学であったり、その先には自分の培った経験や学んだことを活かして仕事をして生きていくことだと言います。
「もっと日本の若い人に海外に飛び出てほしい。僕が最初にお世話になった公益社団法人国際農業者交流協会、ここが若者を海外に送ってきたんですけどね、やっぱり参加する人が減ってきているんです。ただこれはね、ちょっと言いたくないけど滅亡の道だと思う。若い人であればあるほど、海外に関心を持ってもらいたい」
「世界中の人と出会って、自分を鍛えてね、これからの日本を支えてほしいなというのはずっと思っていて、これからオフィス・セイケとしてやっていくことはそこに注力していきたいと思っていますね」
「Tokusatsu」の先には、若者がもっと海外に目を向けて、自ら「変身」する社会を見据えていました。今後の日本を救う”特撮ヒーロー”のような姿が、清家さんにオーバーラップされた気がします。