新潟県佐渡市を拠点に活動する、太鼓芸能集団「鼓童」。1981年にベルリン芸術祭でデビューし、世界52の国と地域で6500回を超える公演を行っています。近年は歌手の石川さゆりさん、元ちとせさん、AIさんや、有名ロックバンドらと共演。2019年にはラグビーワールドカップの開会式にも出演しました。
今回はそんな鼓童の若きサウンドメーカー、住吉佑太さんに話を聞きました。住吉さんは太鼓や笛を演奏するだけでなく、作曲や舞台演出も手掛けるなど幅広く活動し、2021年には地元香川県の文化芸術新人賞を受賞しました。
“音楽としての太鼓”を発信したい
住吉さんは小学2年生で太鼓を始め、3年生のときにはすでに太鼓音楽を作曲するなど、早くから才能を発揮します。そして地元の太鼓チームで経験を積みながら、シンガーソングライターとしても活動。2010年に鼓童に研修生として入団し、2013年に本メンバーとなりました。
その頃の鼓童は、芸術監督に歌舞伎役者の坂東玉三郎さんを招き、抜本的な改革に取り組んでいる最中でした。住吉さんは、それまでの鼓童にはなかった表現や新しい価値観に触れ、荒波に揉まれながら、作曲や音楽構成を担当。もがきながらも、自分のスタイルを確立していきました。
「表現者として一番大切なのは“自分”という芯。住吉佑太がやる、というのが大事なのだとふっきれました」
一番伝えたい“魂の震え”
住吉さんはアメリカやヨーロッパを舞台にしたツアー公演などを通じ、世界各地に刺激を受けることで、自分の表現に繋がったと語ります。
2016年のアメリカ単身修行で現地ミュージシャンたちと演奏する中、技術や基礎があった上でのアンサンブルにおいて、文化やノウハウが違っていても「共通の気持ちいいところ」を見出します。そして「全人類は、ひとつの共通項を持っているのでは?」と思うようになりました。
「日本の太鼓をアピールすることも大事だけれど、同時に、ナショナリズムのぶつけあいではいけないと感じました。僕のライフワークは、全人類に響く共通点を“音”で探ること。きっとたどり着けるはず、と信じています」
住吉さんが表現者として一番伝えたいのは“魂の震え”。太鼓は、この震えに向き合うのに一番近い楽器だと感じています。
「太鼓に向かい合うと、ぐわわぁっと、まるで狩猟本能のような感覚が沸き起こるんです。僕はこれを、魂が震える瞬間や感情だと思っています。太鼓を叩く時に僕が感じる“魂の震え”を、みんなと共有したい。魂が震える瞬間を感じてもらう工夫は、演出にも必ず入れるようにしています」
住吉さんは自分の中に感じる「瞬間」を、聞き手と共有できるゴールを目指し、さまざまな角度から太鼓音楽の持つ多面性を追求し続けています。
コロナ禍でも追求した太鼓音楽
コロナ禍で多くの公演が延期・中止となるなか、住吉さんら鼓童のメンバーは「自分たちで何か発信することはできないか」と映像撮影、編集、録音、配信のノウハウを必死で勉強。海外と日本を繋ぐライブ配信を、積極的に実施しました。
また住吉さんは音に関わる技術を高め、納得いく形まで追及していきました。「太鼓音楽をもっと日常の音楽へ」と銘打たれた2枚のアルバム『Alatane』を発表。また、メンバーの中込健太さんと打楽器ユニットでライブ配信を行うなど、作曲・収録・編集・演奏で“太鼓音楽”を表現しました。
「楽器・太鼓の歴史は長いのですが、舞台芸術としての“太鼓音楽”はまだ半世紀程。『太鼓といえばこうだ』と固定概念や制約を設けてしまうと、先がないと考えています。僕は鼓童の歴史、日本の太鼓というアイデンティティを大切にしながら、同じくらいの熱量で“音楽としての太鼓”を発信したいと思っています」
住吉さんにとって2020年は「歩を止める。感覚を研ぎ澄ます」年でした。そして2021年6月に演出を担当した公演には『歩』と名付け、鼓童の歴史と、これから歩んでいく未来という2つの意味を込めました。
世界の誰もが共感できるものを探して
鼓童は2021年9月の新潟公演を皮切りに、国内ツアーを全国で開催予定。住吉さんの手掛けた新曲も発表される予定です。世界の誰もが共感できるものを探して。古きを守り、新しきを追及する住吉さんの挑戦は続きます。
「かつて鼓童は、1980年代の海外の若者たちに面白いと思われ、世界に進出しました。今はすぐネットで検索できるので、世界の音楽業界はますますスピードアップするでしょう。鼓童の太鼓音楽が、感受性豊かな人たち、能動的に音楽に関わる人たちに、届いたらいいなと思っています」