「この歳まで、家族がとても大事にしてくれてなぁ」と開口一番。長女と孫夫婦に曾孫三人の六人が松本さんを囲んで一つ屋根の下に暮らしている。ちょうど皆さんお揃いで気軽く挨拶を交わすことができた。三世代の愛情溢れる明るさに、松本さんの生きる気概も満ち満ちて、百歳むべなるかなの感しきり。
農作の習性か、毎日二、三時間、田畑を見回らなきゃ落ち着かないのだとか。「日光浴を兼ねての散歩や」と仰るが、庭木の手入れも欠かさない。写真にある五メートルはあろうか、槙の木に二、三年前まで一人上がって剪定していたと聞いて驚いた。
手の掛からないおじいちゃんと言うよりは、年寄り扱いはしない家族がまたいい。朝、昼はラーメンなどを作って自炊で済ませ、夜はみんなで食卓を囲む。「これもな、健康のためや」と晩酌の酒を買いに行くのも自分。「百薬の長や。一升ありゃ二十日はもつ」と楽しそうに笑う。
二十二歳で満州、ビルマ(現ミャンマー)へ出役。戦後二年を過ぎて復員し、農業のかたわら建築関係に携わったが、その人柄から推されて町会議員となり、三期十二年務めた。また消防団を三十年にわたって率いるなど財田町民の世話に明け暮れた。
若い頃はソフトボールでピッチャーを、七十代にはグランドゴルフ大会にも出てスポーツにも興じるなど、身の軽さも周りから信頼されていたようだ。
「戦争以外は思う通りに生きてきた」との述懐は、くよくよせず物事をいいように考える性格を表している。「結構、頑固なところもある」とは長女さんの観察だが、前者と後者は表裏一体。それこそ元気を続ける証ではないかと思わされるが、長年添い遂げた奥様を七年前に亡くされたことだけが悔やまれるようだ。
週一回のデイサービスも楽しみだが、元気過ぎるだけにすることがないとぼやく。話相手が乗ってこないのだそうだ。目も良く話すことも不自由ないが、耳だけが少し不安だとかで補聴器を着けている。「試験的やが、やはりちょっとは違うなぁ」と満足そう。
残る希望は二十二歳の曾孫に託す玄孫(やしゃご)の誕生とか。羨ましくも楽しみな人生を送られている。