香川県三豊市高瀬町を拠点にする、和太鼓アマチュアチーム「和太鼓集団・響屋(おとや)」。これまでにプロを4人も輩出した、実力派集団です。世界52の国と地域で6,500回以上の公演を行う太鼓芸能集団「鼓童」にもメンバーを輩出しています。そんな響屋の若きリーダー・徳永廣揮さんは“響屋ならでは”の音表現をテーマに、チームを引っ張っています。
「響屋」が生み出す、和太鼓の魅力
「太鼓は、1つの太鼓に1つの音。強弱やリズム、響きで表現をする、音の世界です。響きが芯に伝わるのが、和太鼓の魅力」
徳永さんは高校生の時、友人の誘いで太鼓部に入部しました。そこで、太鼓の響きや先輩の打ち姿に魅了されました。ショーやパフォーマンスという単語で括れない、奥深い和太鼓の世界。和太鼓の生演奏が生み出す響きと一体感に魅了された徳永さんは、高校を卒業後、地元・三豊市で活動している響屋に参加しました。
響屋に入った徳永さんがまず行ったのは、高校時代に習得したの和太鼓の技術を、一から洗い直すことでした。和太鼓は、チームによって叩き方、振り、音、響きも全く違い、地域差もあります。徳永さんは自分の太鼓を“響屋の音”にするため、努力を重ねました。
「太鼓の世界は、チームによって何を重きにするか全然違います。例えば伝統を重んじるチームもあったり、響屋のように新しいものに挑戦する太鼓集団もあったりします。僕たちは、郷土芸能でやるような昔の曲もアレンジを加えて響屋色を出したりと、“響屋ならでは”の音を大切にしています」
太鼓の基本を守り、その上で「音を楽しむ」のが響屋。和太鼓という伝統芸能の範囲に留まらず、さまざまなジャンルのアーティストとコラボレーションもしています。
「響屋」を支える、2人の大先輩の存在
響屋をつくり、支えているのが、詫間浩二さんと川江秀樹さんです。2人は1985年にできた「高瀬町実相院殿大領太鼓」(現在は解散)を経て、1999年に高瀬こども太鼓「童響(どん)」を、そして2000年に「響屋(おとや)」をスタートさせました。
子どもの「童響」と、大人の「響屋」。童響を卒業すると、響屋への道が開かれています。2つのチームの掛け合いと存在が、チーム存続の両輪となっています。
響屋は中学校1年生から65歳まで18名が在籍していますが、中学生も大人と同じ扱いです。
「子どもだから、というのはありません。楽しいだけじゃない、苦しみを我慢することに意味があるんです」
「どこに響かせようと思って叩いてる?耳じゃない。聞く人の心や。心に向かって打て!」
練習中に「人の心に響かせろ!」と詫間さんの激が飛び、その声を聞いた若者たちは集中力を高めます。
「詫間さんは自由に、できるまでとことんやらせてくれます。それはすなわち、できるまでは終わらないということ。2時間延々と同じ練習を繰り返すなど、僕も『なんでこんなにできないんだろう』と自問自答してしまうほど、厳しいんです」
しかし、好きなことを追求することで溢れ出すものを「いいよ」「それ面白いな」と言う指導者・詫間さんの元で、響屋の打ち手たちは伸び伸びと育っていくといいます。
「人には、打つ色があります。基礎を終えたら出てくる個人の癖を、研鑽し、味にしてくれるのが、詫間さん。それが“自由にさせてくれている”ということなんです」
もう1人の大黒柱・川江さんは、地域に根差した活動をしており、人脈も仕事の幅も広範囲に渡っています。
「僕は、高校の時に太鼓の譜面を習ったのですが、響屋で川江さんと出会い、音符のある楽譜を教わることができました」
それまで徳永さんが高校時代に習った太鼓譜面とは、『どんどこ』とひらがなで書かれたものや、口唱歌によって口や音で引き継いできたもの。響屋に入って川江さんの指導を受け、太鼓以外の譜面を読めるようになり、音楽の幅が広がったと言います。
徳永さんは2人の背中を追いながら練習に励み、リーダーとしての役割を果たしています。
「みんなはまだ曲に必死で、練習の通りにやろうと考える人もいます。練習のその先に、自分の思う音が出せているかどうか、が大事だと思うんです。太鼓に限らずどんな音楽でも、到達点がないからこそ『もっとこうできるんじゃないだろうか、もっとああしたい』と追及できるんです」
飽きっぽい性格なのに、太鼓を辞めようと思ったことは1度もないという徳永さん。自身が受けた指導経験を元に、後輩の指導に当たっています。
生き様ならぬ「打ち様」が出る舞台にて
響屋は年間約40本の演奏を行っていましたが、コロナ禍のためにイベントが激減。2021年6月13日に観音寺市港町で行われた大漁祈願祭での演奏が、2021年のようやく3回目の舞台でした。この日は、女流和太鼓「響音(きょうおん)」とコラボしました。
「本当は、曲に合った表情が求められるんですが……」と言う徳永さんですが、曲の盛り上がりと共に表情もますます豊かになり、まるで曲と心が一体化したかのよう。生き様ならぬ「打ち様」が溢れ出ています。
「太鼓が楽しい!自分の表現ができる、練習したものが人前で出せる!」と喜びに満ちた笑顔、和太鼓の響き、そして生まれる場の一体感が、観客を魅了しました。
徳永さんの夢は、香川県外の人たちにも『香川の太鼓といえば、響屋だね』と言われること。
「音を楽しむチーム」であり続けるために、人の心に響かせるために。受け継ぐものを胸に宿し、徳永さんは仲間と共に太鼓を打ち続けます。