香川の伝統工芸“讃岐のり染(ぞめ)”の技法を受け継ぐ、1804年創業の大川原染色本舗(香川県高松市)。7代目の大川原誠人さんは、伝統を守る職人であると同時に、自己表現を追求する芸術家という、2つの側面を持っています。
5月1日から地元・香川で初の個展『大川原誠人展~めぐる、還る~』を開催中。大川原さん自身が15年かけて探求し続ける「〇と×」に込めたメッセージ、そして伝統と自己表現が混ざり合った今のスタイルに至るまでの話を聞きました。
マルそれともゼロ? バツかクロスかは自分次第
今回の展示には、作品に描かれた「〇と×」を巡ることで“人生の選択”を体現するという仕掛けが施されています。この〇が「マル」に見えるか、それとも「ゼロ」に見えるかは、見る人次第。作品を鑑賞しながら、静かに自分との対話を行うことができる空間になっています。
大川原さんが「〇と×」をテーマにしようと思ったきっかけは2005年、アメリカの大学で授業を受け持った際の出来事。出席簿に、出席者には×が、欠席者には〇がついていて、不思議に思いました。その時「×はチェック、〇はゼロの意味」と教えられ、大川原さんは驚きます。普遍的と思っていた日本での意味が、アメリカでは逆転。そこに面白さを見出しました。
「そうか、マルはゼロにもなるし、バツはチェックにもなる。×は〇にも変わるんだ」
それから15年間、「〇と×」を表現題材として追求し続けています。
今回の個展も、「〇と×」が大きく染め上げられたインスタレーション作品が印象的です。会場の天井から床まで空間を流れるように占める大きな染物作品から、小さな座布団のようなものまで、大きさもスタイルもさまざまです。これまで避けていた額装にも挑戦しています。
特徴は、スリット。一枚布で仕上げず、あえてスリットを入れることによって、布がなびいたり隙間が見えたり、影が出来たりと、表情が豊かになっています。
また、〇と×以外にもデザインされた△には「どっちでもいい、スルーしてもいいやつ」と遊び心が見え隠れ。「単純なものほど、いろんな意味が見えてきて面白い」と、大川原さんは語ります。
そうして展示を巡ると、隣の部屋にある「宮」と名付けられたインスタレーション作品にたどり着きます。ライトダウンされた薄暗い空間で、布は穏やかな空調の風でゆっくりと回り、さらさらと水音が静かに響いています。布をくぐり空間の中にたたずむと、太陽と月のモチーフが静かに巡るさまを目の当たりにします。
「『宮』のイメージは、胎内。“めぐる”人生の中、最後は原点に“還る”んだという、僕なりの答えを表現しています」
宮から出ると、まるで“戻ってきた”かのような既視感を覚えます。「〇と×」が、入る前とは違った意味合いに見えてくるかのようです。
「人は生きるために、数多くの取捨選択を迫られます。自分で選んでも、その道は自分に合っているんだろうかと、不安を抱いたりするのが、人。そんな時僕の作品が、迷ったり悩んだりする人の背中を押すことができればと思っています」
作品が誰かの勇気に繋がればいい。そういう大川原さんもまた、家業を継承するかどうか「選択」した経験を持っていました。
染めに関わる「職人」と「表現者」 2つを両立させる道へ
大川原さんの家業“讃岐のり染”とは、もち米のりを布地に置いて染め分けをする、江戸時代に京都から伝わった技法です。獅子舞の油単(ゆたん)、のれん、大漁旗、法被、神社ののぼりなど、「ハレの日」に使われてきた染物などに受け継がれてきました。獅子舞の油単は、獅子舞文化が盛んな香川ならではのもの。獅子や龍、武士といったモチーフが色鮮やかに描かれており、目を惹きます。
大川原さんはかつて、跡を継ぐことが暗黙の了解という空気感の中、周囲からの見えないプレッシャーに悩んでいました。
「自分の将来は本当にこれでいいんだろうかと悩む中、高校1年生の際、父がアメリカの大学へ染色を教えに行く機会があって。その時『この仕事は海外からも注目される大切なものなんだ』と気づき、そこで家業を継ごう!と決めたんです」
その後、京都の芸術大学へと進学しました。そこで自己表現・アートとしての染物を学びましたが、そこは職人の姿勢とは真逆の世界。
「お客様のからオーダーを受け、技術によってイメージを形にするのが職人の仕事。職人である父からは『自分を表現するなんてとんでもない』と言われていました」
それでも大川原さんは「職人」と「表現者」、両方の道を歩むことを決意。時と場合によって上手に切り替えながら、2つの道を両立させてきました。
伝統を受け継ぎ守る職人として、注文品をイメージどおりに仕上げる仕事に力を注ぐと同時に、京都や香川でグループ展に参加して自己表現をする現代美術作家として活動。作家活動の中で、伝統とは違う視点でものを見る目を養い、自分の引き出しに蓄積したり、発想のヒントを得たりしてきました。それは職人としての仕事にも生きてくると大川原さんは言います。
「最初は別々に考えていましたが、年を重ねるにつれ、今では良い意味で混ざり合ってきました」
変化を恐れず、〇と×が組み合わった「叶う」の世界を目指して
大川原さんは「面白いことにはどんどん協力して応えてあげたい」と、瀬戸内国際芸術祭で作品を展示する「TEAM男気(おぎ)」にメンバーとして参加したり、ファッションブランド・BEAMSとのコラボレーションに挑戦したりと、活動の場を積極的に広げています。
また、獅子舞の油単の絵柄を大胆に使ったトートバックが女性に人気です。
「獅子舞の油単とは、祭りの場で使うものなので、個人の持ち物ではありません。さらに男性的な要素も強いもの。しかしトートバックにすると個人で、さらに女性も持てる。〝讃岐のり染”を自分の身近なものにできるんですよ」
新しいことに挑戦しないと、時代に取り残されてしまう、と大川原さんは続けます。
「今の時代に“伝統文化”とされるものは、誕生当初、革新的だったはず。時代を経て良いものが残り、伝統となった。変化を怖がらずにいたい」
これまで職人としての仕事を海外で発表したり、英語訳が追加された動画を制作したりした経験はありますが、「〇と×」作品を海外で発表したことはありません。
「海外の方々はこの作品をどう感じるんだろう、次は海外で発表してみたい」と大川原さんは、アメリカやヨーロッパなどの文化圏への進出に興味深々です。
「今はなかなか海外へ出向けず、我慢の時だと思います。しかしこの時期を抜けたらきっと“〇(マル)”に繋がって、とてもいい世界が待っていると思いますよ」
〇と×を横に並べると「叶う」という漢字に見えてきます。さらに×はクロスにも見えてきます。“×(クロス)”して“〇(マル)”になる世界へと、大川原さんの探求はこれからも続きます。
『大川原誠人展~めぐる、還る~』は、名物かまど坂出駅南口店かまどホール(香川県坂出)で、2021年5月30日まで開かれていて、22日にはギャラリートークも予定されています。