わたしを演じながら考え続けた「わたし」という生き方 直線コースじゃない人生。無駄があるから面白い!

わたしを演じながら考え続けた「わたし」という生き方 直線コースじゃない人生。無駄があるから面白い!
韓国ソウルの劇場にてフランス人との稽古風景(2019年)。国籍世代関係なくさまざまな人と劇をつくっていく。

自分は何が好きで、自分とは何者なのか。自分の居場所はどこなのか。模索しながらも、在日韓国人三世であり、ベンチャー企業社員、キッチンカーでの販売、介護職、妻、俳優などさまざまな「わたし」を演じてきた申瑞季(シン ソゲ)さんに、今までの人生、そして今後の取り組みについて話を聞きました。

在日韓国人三世として

現在、平田オリザさんの劇団「青年団」所属の俳優として活動する申瑞季さん。申さんは三重県で生まれ育った在日韓国人三世です。小学校4年生の時に「わたしは在日韓国人です。おじいさん、おばあさんの代に日本にやってきて、日本名に変えないといけなかったけど、本当の名前は申瑞季です」と全校生徒の前で本名宣言したそうです。

申さん家族写真
申さん家族写真

「私は在日であることは恥ずかしいことではないと思っていたので、名乗ることに抵抗はありませんでした。でも中学に入ると日本人だったら考えなくていいことを、いろいろ考えなければならなくなってしんどかったです。当時は16歳になると外国人登録証を携帯する義務があって指紋押捺をしなければならなかったんです。それで民族運動を熱心にやっていた母のすすめもあって、私も指紋押捺拒否運動に参加しました。ところが祖父母は『そんな運動するな』っていうし、学校の先生には呼び出されるし。仲のいい日本人の友だちにも理解してもらえず、同じ学校の在日韓国人の中で本名宣言をしたのは自分だけだったこともあって孤立感がありました」

自分の居場所を模索する

民族運動が盛んだった1980年代、韓国籍だった申さんの両親は、日本の大学を卒業して教員免許を取得しても、就きたい職業にも就けなかったそうです。国籍は関係なく、自分のルーツに誇りをもてるような職業がいいと感じた両親の勧めで、中学卒業後は宝塚の演劇科がある高校に進学し、そして、韓国で俳優を目指すためにソウルの大学へ留学しました。

「演劇仲間に支えられながら韓国で5年間過ごしました。でも、日本生まれ日本育ちのわたしは、言葉や文化の違いから韓国での生活になじめませんでした」

卒業後すぐに日本に戻った申さんは、「青年団」に入団。東京での生活は、俳優業だけでは食べていけず、韓国のITベンチャーで働いたり、キッチンカーで韓国料理の移動販売をしたりもしました。

「約6年半続けたビビンバのキッチンカーの売り上げは上々でした。商売が忙しくなって、俳優業からも少し遠のいていました。だから、演劇していますと言えない自分がいました。キッチンカーはしているけど、自分のウリや存在意義が見いだせず、俳優としてはスランプでしたね。同世代で活躍している仲間を見ると悔しいし、頑張っているみんなと比べて、すごくしんどかったです」

無意識にいろんな役を演じているわたし

周囲と比べることで自信をなくしていた申さんは、東京での演劇から離れ、自然の中での生活を求めて石川県金沢市を経て、富山県大長谷での暮らしを始めました。人に恵まれ、とても充実していたという富山での生活。しかし、演劇から離れてからも、山に向かって演劇をすることを願う毎日が続きました。

申さん富山
申さん富山

「人って、普段から無意識のうちにいろんな役を演じてるんですよね。わたしの場合、キッチンカーしているわたし、妻としてのわたし、友達といるわたし、演劇をしているわたし……。演劇を好きかと聞かれると大好きとは言えません。セリフもたくさん覚えなきゃいけないし、苦手な役だってある。でも、山で暮らしながら、自然と一緒に土に根差した 暮らしをする中で、本当に自分がやりたいこと、演劇をしている自分が好きだってことが分かってきました。一人で引きこもっているよりも、”人と一緒に”何かをすることが楽しくて、演劇から離れてみて、俳優の仕事が好きなんだって、気づけました」

命をかけて芝居をするおかじいと共演

演劇から一旦離れていた申さんが演劇を再び始めるきっかけとなったのが、岡田忠雄さん(94)との出会いでした。 岡田さんは「おかじい」の愛称で親しまれる、老いと演劇「OiBokkeShi」の看板俳優です。 申さんは「OiBokkeShi」の劇団主宰者である菅原直樹さんに声をかけられ、おかじいと一緒に演劇をする機会に恵まれます。

申さんとおかじい
申さんとおかじい

「雷に打たれた感じでした。だって、命がけでお芝居している人に初めて会ったから。おかじいと共演して、迷いがスーッと消え「いつも苦しいときに助けてくれたのが演劇だったんだ」と気づきました。おかじいは演じることが好きで、死ぬまで演じ続けると決めて、演じることが自分の命だと考えている人なんです。そんな人が目の前に現れ、わたしも演劇をしている自分が好きなんだったら、この好きな気持ちをもっと大事にしていけばいいんだと思えるようになりました」

無駄があるから魅力的、無駄があるから人間らしい

演劇は非生産的で、非合理的、無駄が多いと話す申さん。

「時間をかけて準備をしてきたものも、たった数時間で終わっちゃうし、映画のように大人数には観てもらえず、すごく効率が悪いんですよね。でも、遠回りで無駄があることが魅力なんじゃないかなって思い始めています。劇団青年団ではアンドロイドと人間が共演するアンドロイド演劇を取り入れています。アンドロイドが人間に見えるようになるのは、無駄な動きを適度に残すこと。 無駄な動きがあることで人間らしさが出てくるんです」

「人生も同じで、直線コースじゃなくて、無駄なことがあればあるほど、豊かな人生なんじゃないかなと思っています。生きづらさだったり、得体の分からないものだったり、効果がパッと出ないものだったり、目に見えないものだったり…。今の社会ではあまり大事だと思われていないものなのかもしれません。でも、その”無駄”が 演劇にはたくさんある。だから、演劇も人生も楽しいんです!」

わたしが好きだからやる、やりたいからやる

申さんアトリエ外
申さんアトリエ外

おかじいに出会い、富山での生活に区切りをつけて、2018年の夏に岡山県の奈義町に移住してきた申さん。

「韓国に留学していた時は、自分は韓国人にはなれないし、韓国人でもないなと思いました。でも、日本人にもなれない。わたしの本当の居場所ってどこだろうと漠然とした不安がありました。日本にも韓国にも受け入れていない感じがして…。マイナスしかないと思っていました。でも、韓国のいいところも、日本のいいところも両方知っているという点では自信があります。韓国人には日本のいいところを伝えたいし、日本人には韓国のいいところを伝えたい。それができるのはわたしかなと思っています」

今後は、俳優業をしながら、自宅のアトリエで「俳優と演劇から学ぶ韓国語教室と韓国料理教室」をしたいと考えている申さん。

「自分が在日だからとか、他の人と比べて韓国語ができるからではなく、好きだから、やりたいからやる。『わたし』を活かして、好きなことをどんどんやっていきたいと思っています」

申さん稽古風景
申さん稽古風景

申さんが、再び演劇の世界に戻るきっかけとなったおかじいとの共演「ポータブルトイレットシアター」が奈義町文化センターで開催されます。

「どこの国の人とか、どんな仕事をしているとか、そんな肩書や周囲からの価値基準にまどわされることなく、 『わたし』を生きていきたいです。好きな気持ちを大事にすることを教えてくれたおかじいとの共演が楽しみです!」

【ポータブルトイレットシアター】
2021年3月28日(日)15時(受付開始は開演の60分前)
奈義町文化センター 大ホール(岡山県勝田郡奈義町豊沢327-1)

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