香川県で、だし醤油などを製造販売している「鎌田醤油」が、ムスリムフレンドリーの“うどんだし醤油”を開発した。イスラム教徒が食べることを禁止されているお酒としてのアルコール、豚由来・他の非ハラル原材料の成分を使用していない。このうどんだし醤油が誕生した背景には、あるムスリム女性の日本での食生活への悩みがあった。
「うどん店での苦い経験から生まれた醤油」
ムスリムフレンドリーの“うどんだし醤油”は、鎌田醤油の社員でインドネシア人のアルムさんの実体験がきっかけとなり、誕生した。現地の大学を卒業後、2017年に、香川大学大学院(日本の食の安全特別コース)に入学したアルムさんは、ある日、うどん屋を訪れた。インドネシアでは、うどんは人気の日本食。本場の味に興味津々だった。かけうどんを注文しようとしたが、その時、だしに“みりん”が含まれていることを知った。
「イスラム教にはお酒としてのアルコールや豚等を口にしてはいけないという戒律がありますが、日本の料理には“みりん”や醤油が入っていることが多いです。」
釜揚げうどんもぶっかけうどんも、同じ理由で食べられなかった。結局、泣く泣くうどん店をあとにした。
一般的な醤油には醸造で生じるアルコール以外に、風味を加えるなどの理由で微量のアルコールが加えられていることがあるため、食べるのに慎重になる。さらにだし醤油などの醤油加工品にはお酒に分類されるみりんが含まれている場合があり、口に入れることが出来ない。これらのことから、戒律をしっかり守るムスリム は、醤油やだし醤油を避けるのだ。そんな彼らが日本での食生活を楽しんでいるかといえば、そうとはいえない。うどん、寿司、鍋、すき焼きなど、日本を代表する料理が食べられなくなるのである。
「うどんを食べたいし、日本食を楽しみたい。きっと同じ理由で悩むムスリムは多いはず。大学を卒業したら、ムスリムも安心して食べられる調味料をつくる仕事に就きたい」
アルムさんはこう誓い、その夢を叶えるため「鎌田醤油」に入社したのだ。2019年鎌田醤油は彼女の夢を後押しすることに決め、インドネシアの2大学(IPB大学、ディポネゴロ大学)からインターンシップ生を招いて調査した結果、実現が可能と判断し、すぐに開発チームを組むことにした。
「ハラルとは何か?から始まった、異文化への挑戦」
鎌田醤油は江戸時代から続く老舗の醤油会社だ。紙パックのだし醤油は、全国の食卓で人気を博している。本醸造醤油に、全国各地から厳選したさば節・かつお節・昆布の一番だしをブレンドしているので、釜揚げうどんやぶっかけうどんのつゆだけではなく、煮物や鍋などの調味料としても使える万能調味料だ。ムスリムが禁止している成分を使わないだし醤油を開発できれば、“在日ムスリムの食生活を豊かなものにできるのではないか”という結論に至った。
「彼女の話を聞いた私たちは国内の市場を調査し、これは商品化できそうだなと思いました」と、商品企画課の矢野さんは言う。
だがその道のりは平坦ではなかった。まずは「ハラルフードとは何か?」を理解することが必要だった。ハラルフードとは、ムスリムが食べることを許された食品。非ハラルは許されていないことを意味し、お酒としてのアルコールや豚などが代表的だ。製造部部長の内藤さんは、当時をこう振り返る。
「アルコールや豚を除けばハラルという訳ではないです。日本人には理解しづらい点がありました」
ムスリムからの信用を得るためには、ハラル認証機関が定めた規定に合格し、認証を得る必要がある。だが、その難易度は高い。例えば豚の成分が含まれる添加物も禁止されているので、製造会社から成分表を取り寄せ、提出しなければならないのである。また他の動物の肉由来成分についても、非ハラルでない(イスラム教の教えに則った方法でと畜・加工処理されている等)ことを証明しなければならない。
「豚やお酒としてのアルコールに触れた道具を製造に使用するのもいけません。非ハラルの食材の種類によっても、罪の重さに差があるようで、それも最初はよくわからなくて。でもアルムさんが一生懸命説明してくれました。私たちは、彼女の情熱に乗って応援しただけですよ。大したものです」
アルムさんにとっても大きな挑戦だった。もちろん醤油の製造に関わるのは初めてのことに加え、海外での就職。言葉の壁もあったが、製造部、技術部、企画部、営業部などと連携を取り、情熱とともに進んだ。何度も試作と試食を重ね、完成したのは企画開始から10か月後だった。
「本当に嬉しかったです。なれないことばかりで大変なこともありましたが、会社の皆さんのおかげです」と、アルムさんは当時の心境を振り返る。
販売を開始したのは2020年の11月。現段階ではハラル認証を受けていないが、今後取得する予定だ。(それゆえに商品名はムスリムフレンドリーと表記している)それが叶えば、国際的な信用を得られ、香川県の味を世界中のムスリムにも届けられるようになる。
「うどんとムスリムのアイデアの融合」
そんな苦労が実って完成した『ムスリムフレンドリーうどんだし醤油』の芳醇な味わいと香りは、既存のだし醤油と比べても差が感じられないほどの品質を誇る。一般にみりんやアルコールを添加しない醤油は風味に欠けるというが、そう感じさせないことに驚かされた。工夫が及んでいるのは、味だけではない。持ち運びをしやすいように、15mlずつ10袋に小分けして販売している。これも当事者だからこそのアイデアだ。
「これを持ってうどん屋に行き、釜揚げうどんを注文します。店員さんにお願いして小皿をもらい、このだし醤油で食べています。寿司屋でも使っていますし、家で鍋や炒め物も楽しんでいますよ。お酒としてのアルコールや非ハラル原材料が入っていないか心配せずに料理ができるようになりました。おかげで私自身の生活の質も上がり、ますます日本での生活が楽しくなりました」
すでに販路はいくつかある。国内ではハラルフード店やうどん店からも引き合いがあり、販売しているそうである。さらにインドネシアの業者からも問い合わせがあるとのこと。これもアルムさんの営業能力のたまものだ。
「日本での食事に悩むムスリムは多いので、ムスリムの食卓に笑顔を届けられるといいなと思います。この商品はうどん県からのお土産としても良いと思います。ぜひお試しください」というアルムさんは、とても幸せそうだ。
パッケージに可愛らしいイラストが施されている。在日ムスリムの多くは自炊を余儀なくされ、旅行に行く時にはおにぎりなどを持参している。その悩みを解消できるかもしれない。
鎌田醤油のだし醤油は、1965年に「うどんのだしを使うと短時間でおいしい煮物が作れて、忙しい主婦には便利」という女性社員の言葉から誕生した。主婦の知恵から生まれただし醤油が、その55年後に外国人女性のアイデアによって進化したことは「今求められる味を」という鎌田醤油のコンセプトを体現している。
ムスリムの悩みを企業がすくい上げ、商品が開発されたことは意義深いことだ。多様性といいながら、ムスリムの存在が意識されないことが多いが、在日ムスリム人口とムスリムの観光客数は年々増加している事実がある。しかし、特に地方では彼らを迎える準備が万端とはいえず、経済面での恩恵を受けきれていない。ハラルフードを提供するレストランが比較的充実している都市部での滞在が必然的に増えるのが現状だ。
一方で「うどんを食べに香川県に行ってみたい」と思っているインドネシア人は少なからず存在し、みりんや醤油を理由に諦めているのだそう。醤油を使用する料理は多いので、地域性のある食事目当ての旅行に制限がかかるという点で、他の地方都市も似た課題を抱えているだろう。この持ち運び可能なうどんだし醤油は、地方経済を活性化する一助にさえなるかもしれない。これからうどんだし醤油が、どんな展開を見せるのかとても楽しみである。そのためにもアルムさんたちにどんどん販路を広げてもらいたいものだ。
鎌田醤油高松直売所・蔵元直売所(坂出)で購入可能。
その他取扱店舗は、さぬきうどん 溜、MIYUKI HALAL MART, TOKUSHIMA HALAL FOOD, WARUNG KITA HAMAMATSU, SARIRAYA HALAL MARTなど。