2人の師匠との間に起きた偶然が、餃子世界の味の決め手
餃子は、人と人とが交遊を深めるための共通言語だと強調する守屋さんですが、メニューをしぼり込んでいるぶん、その一つひとつに並々ならぬこだわりが詰め込まれています。多くの店が冷凍餃子を仕入れて焼いているところを、餃子世界の場合は粉から手づくり。カウンターのみの店内では、守屋さん自身が餃子を包む様子を目の前で見ることができます。
こなれた手つきをひも解いてみれば、行き着くのは2人の師匠の存在。1人目の師匠は友人のおばでした。
「僕の友達に中国人と日本人のハーフの子がいて、餃子屋を始めようとしているときに、家で餃子焼いてインスタに上げてたんですよ。そしたら、その子が『餃子屋やるんだったら、ないものつくった方がいいと思う。私のおばちゃんが餃子の発祥地・ハルビンに住んでるから、そういうのやった方がいいんじゃない』って言うだけ言って」
オープンまで残された時間はわずか。あきらめムードの守屋さんでしたが、それから間を置かず友人の弟が足にけがを負い、その世話をするべく後の師匠が来日。まさかの知らせを聞くや「申し訳ないけど、おばちゃんを1日借りていい?」と説き伏せました。
「その家に車で迎えに行って、中国語しかしゃべれないおばちゃんを後ろに乗せて。その子もいちおう通訳として。で、スーパーで買い出しをして、フレンチの店やってる友達に厨房借りて。そこでいちからやり方を教えてもらって、動画で撮って」
渡りに船の状況を、決して逃さなかった守屋さん。その後、自宅で何度も復習に取り組み、餃子世界の味を固めていきました。ですが、これだけでは終わりません。
「それこそ起業する1、2日前に『おばちゃんから教えてもらった餃子もつくるけど、もうちょっと違う餃子もあるかもしれんけん、最後ちょっといろいろ探そう』っていうので。よく行ってた中華料理屋があって、(地元の)倉敷で。オープンはしたっすけど、通い続けたんですよ」
ふとした思いつきから、前々からひいきにしていた店にヒントを得るべく行動を起こすと、あまりの来店頻度から店主の目に留まり、事情を話したところ調理の様子を見学させてもらえることに。仕込みをともにし、開店祝いに中国製の箸まで手渡されました。
当初は独学だった餃子づくり。そこに2人の師匠との間に起こった偶然が加わり、根強いファンを生む独自の餃子が完成したのです。
熱気に満ちた街を生み出す「プレーヤー」を育てたい
街のブランディングには、活動的な「プレーヤー」が欠かせないと語る守屋さん。行政が主導するのではなく、それに依存するのでもなく、スタートアップを含めた地域の力こそが、街の熱気や個性を形づくるのだといいます。その好事例が、多彩な個人店がひしめくようになった表町・裏ンダ通りであることは言うまでもありません。
「プレーヤー主導の街は熱気があると思うんですよ。熱い人がいる。隣もおもしろいバーなんですけど、プライド持ってやってる。そこに人が集まるから」
そう話す守屋さんのもとには、起業を検討していたり、実際に起業したりしている若者も多く相談に訪ねてくるそう。
「とりあえずやるんだったらいつでも言ってきてみたいな。ここはセミナーじゃなくって、餃子を食いに行くついでに『いま、こういう状況で売れないんですよね』みたいな。餃子を食べながら、酒飲みながら話して帰っていくみたいな感じになっているのがポイント」
「『27で始めました。いま、3年目です。こういう状況です』って言えて。その方が若い人らにとって『2000億円稼いでいます』よりリアルじゃし」
ここで守屋さんが必ず伝えるのは、スタートアップのハードルは想像以上に高くないということ。たとえば、餃子世界のように現状を「ちょっといじる」だけでも、あるいは何でもインターネットで手に入る世の中になったことを逆手に、商材以上に人を重視するだけでも、初期投資はぐんと抑えられるといいます。
餃子やお酒を通してお金を取ることはあっても、こういった情報の提供には一切対価を求めないのが守屋流。それも岡山という街のおもしろさを、個性を伸ばしたいという思いがあってこそのことです。
「情報にビビりすぎて、僕もそうだったんで。やったことねえ人から『1000万円くらい必要よ』って言われて、それなんか自分の都合のいいようにとらえちゃうから。『怖』ってなって。やっぱやらん方がいいって、どんどんこうなっちゃうじゃないですか。じゃなくて近くに『守屋くん、100万円くらいでできるからやった方がええよ』って言ってあげられる世の中はないんかなって」
たとえ「ビビり」であっても、工夫次第で必ずその一歩は踏み出せる。そんな守屋さんの考えに背中を押される人は、岡山のみならず日本各地にいるはずです。