これは、侍ではない――鎧兜に見出した“人類共通のテーマ”を追う美術作家・野口哲哉さんに聞く

これは、侍ではない――鎧兜に見出した“人類共通のテーマ”を追う美術作家・野口哲哉さんに聞く

宙に浮かんだり、木馬にまたがったり、あるいは高級ブランドのロゴがあしらわれた鎧に身を包んだり。精緻な人間表現で描き出された作品群は、一見するとどれも侍や武者のように見えるかもしれません。しかし、その展覧会に冠されたタイトルは「THIS IS NOT A SAMURAI」と、まるで私たちをあざむくかのようなもの。

「鎧と人間」をテーマにしたユーモラスな作品をつぶさに観察してみると、「個性的」という言葉だけでは片づけられない、ある種の憂いが感じ取れます。これらを手がけたのは、美術作家・野口哲哉さん。会場の高松市美術館では野口さんの彫刻や絵画、約180点が展示されています。

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「喜怒哀楽以外の感情に僕はすごく興味があって。実は僕たちは喜怒哀楽以外の感情で、人生の大半を生きてるんですね」

作家の言葉からも分かるように、浮世絵などに描かれた武者の雄々しいイメージとはほど遠い、えもいわれぬ面持ちが印象的な作品の数々。その装いに反して、どこか現代人にも通ずるニュートラルな感情がそこにはあります。これは、侍ではない。鎧兜姿の人物像を通して見える、時や場所を超えた人間の普遍性を野口さん自身に語ってもらいました。

眼差しはマイノリティからマジョリティへ

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幼いころから鎧兜に興味を示すようになり、その美しさや恐ろしさに惹かれていったという野口さん。周囲とは異なる自らの嗜好について、次のように振り返ってくれました。

「マイノリティの自分に甘えていたところがあって。自分は鎧兜が好きでちょっと変人なんだっていうのは、そのへんにいる凡庸な人よりはベターなんじゃないのかって」
「『みんなが好まないものを僕は好んでいるけど、何か?』っていう。世界の方がゆがんでるんだと思いたくなるわけですね」

3人兄弟のなかで「一番ひねくれていた」という野口さんですが、次第に「そういうことを言うやつに友達も恋人もできるわけがない」という「逃れようのない現実」を突きつけられます。怒りとも憤りともつかない奇妙な感覚に苦しみ、考え方を変えたのが大学院を修了する間際のこと。自分にうそはつけないと、楽しげな青春を送るマジョリティに対しての「被害者」に甘んじていたことを肯定するに至りました。

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現在の作風の下敷きになっているのが、このときの体験。世の中や友人など、それまではまともに向き合ってこなかったものに目を向けるようになったのです。そこで、作品に投影されるようになったのが、余白、普遍性というテーマでした。

「(作品は)優しいものでありたいですよね。でも押しつけがましくならない程度にしておかないと。余白をしっかり残しておかないといけないと思いますけど」
「どの時代でもやっぱり人間って、限界まで合理性のあるものを探すんですね」

鎧兜というモチーフを用いるのは、自軍と敵軍を見分けたり、戦地で身を守ったりといった、合理的な目的が宿っているから。現代を生きる私たちが知らぬ間に希求する合理性に見出した「普通」が、野口芸術には通底しています。加えて、喜怒哀楽の中間の表情を描くことにより、いわば解釈の余地を残していることも、鑑賞の楽しみを生んでいるのかもしれません。

普遍性の筋を通せば、表現は言葉を超える

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解剖学に基づいた精密な描写にこだわり、ひとつの作品を生み出すのに1か月から3か月ほどを要するという野口さん。しかし、その過程はまったく苦になることがないといいます。

「山登りでもツーリングでもマラソンでも、楽しいですか、苦しいですかって言われると、苦労が苦にならないっていう。僕も苦労は苦にならないですね」
「(制作は)とっても心地いい時間です。静かに満たされていくみたいな感覚に近いのかもしれないですね」

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一方で制作に用いられる樹脂や絵具は、意外にもそのほとんどをホームセンターで購入しているとのこと。しかし、そこにもれっきとした理由がありました。

「どれだけ立派な素材を使うかじゃなくて、どうやって使うかの問題なんですね。高級な車かじゃなくて、それに乗ってどこにドライブに行くかっていう方が楽しい気がするんです」
「僕は鎧兜のあのフォルムに本質が宿ってる気がするので、きっとあれは樹脂でつくっても人が見ておもしろいって思うものができるはずだっていう自信はありましたね」

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合理性の象徴としての鎧兜を描き出すにあたっても、合理的な判断を下す。人類に共通する普遍性を表す手段それ自体にも、図らずして野口さんの哲学が反映されているのです。こういった自由な表現活動を展開できるのも、本人が「恵まれている」と語る制作環境にあります。

「(販売を委託しているギャラリーが)食っていくために『これを量産しないか』っていうことを言わなかったんですね。『こういうものを作った方がいいよ』ってアドバイスも一切なかったので」
「日本人ってみんな優しいですし、侍のこと知ってますもんね。侍のこと知らない人たちに見てもらって、それでもちゃんと伝えたいですよね。それは侍のよさを伝えることではないんですね」

恵まれた環境に安住するのではなく、いずれは海外の鑑賞者にも自らの作品を届けたい。言語化できない感情を託せるアートに携わる者ならではの志が、言葉の端々に見て取れました。そして、野口さんはこのようにも語ってくれました。

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「普遍性の筋さえしっかり通しておけば、実はどの時代に持っていっても新しく見えるっていうのがあるんですね。『2001年宇宙の旅』が、いつの時代に見ても去年撮ったみたいに見えるっていうのは、その普遍性の筋が通ってるんですね」

鎧兜と人間の狭間に見つけた、人類の普遍性。その価値を伝える営みは、これから先も続きます。

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