アスパラガスがどのように栽培されているのかを知っていますか?
アスパラガスには「春芽」と「夏芽」があり、冬までに根に蓄えられた栄養を使って3月〜4月に地面から生えてくるものを「春芽」と言います。
その春芽を取り尽くしてしまうと、根の栄養を使い果たしてしまうため、4月以降のアスパラ畑では、春芽を一部残して「木」に育てあげる立茎(りっけい)
立茎させた「親木」が光合成を行うことで、根に栄養がいき、それをもとに概ね6月以降に出てくるものを「夏芽」と呼ぶのです。夏のアスパラガス畑に行くと、2m近くまで伸びた「アスパラガスの親木」がズラーッと立ち並び、葉がモサモサと生い茂っています。
紅葉は「良い春」を迎えるための兆し
秋以降もまだまだアスパラガスの芽は出てきますが、
冒頭で説明したように「春芽」は冬までに根に蓄えられた栄養をもとに出てくるものです。そのため、親木には最後まで根に栄養を送り尽くしてもらう必要があります。病気が広がるなどして生育状況が良くないと、秋から冬にかけてアスパラガスの木は黒ずみ、茶褐色になっていき、いわゆる「枯れた」感じになります。これだと次の春以降の収穫量には不安が残ります。
理想は紅葉して黄金色に輝くアスパラガス畑をつくること。
この景色を作り、冬までしっかりと根に栄養を貯めていくことで、春の収穫量が約束されるそうです。アスパラガスが紅葉するためには、収穫期のうちから剪定や病害虫の早期発見など、管理を徹底して行っていくことが不可欠となります。
アスパラガスは多年草のため、「ダメならまた次の年に新しい種や苗を植え替えればいい」というようなものではありません。長く付き合うつもりで良い根を育てていくと、アスパラガスもそれに応えて四季の彩りを見せてくれるのです。
郵便局員を経てアスパラガス農家に
今回、岡山県美作市(旧英田町)で立派なアスパラの紅葉を見せてくれたのは、小林農園の小林和司さん(75歳)。
小林さんは元郵便局員で、30年以上地元の郵便局で勤めてきました。
60歳間近で退職すると、そこからはペースを落としてボチボチと働きつつ、ゴルフなどの趣味に時間を使い始めたそうです。
現役で働く生活からリタイアして悠々自適に過ごしていた小林さんでしたが、7年前に転機を迎えます。
アスパラガス栽培を広めていこうとしていた地元のJAから声をかけられ、アスパラガス農家として第二の人生をスタートすることとなりました。
69歳で一から始めたアスパラガス栽培は、7年目を迎えています。
「どうしたら収穫量が上がるのか。どうしたら病気を防げるのか。そんなんも始めはわからんことだらけ。何年か経って、ようやく少しずつわかるようになってきたところ。アスパラは販売価格も高いが、そのかわりに栽培において気を付けなくてはいけないことも多い」と小林さんは語ります。
小林さんを含め、地域の中で6軒ほどアスパラガス農家が誕生したこともあり、勉強会を開いたり、視察を行ったりしながら、アスパラガスと時間をかけて向き合うことでノウハウを得てきました。
小林さんは現在、ご夫婦で2人暮らし。3月以降にアスパラガスの芽が出始めると、朝は5時~6時頃、夕方は17時~18時頃と、1日に2度収穫を行っているそうです。昼間は出荷作業や病気の予防や追肥など畑の管理作業も行っているため「ちょっとした旅行にもなかなか行けなくなった」とのこと。
それでも、アスパラガス農家をはじめてよかったことは何か?と問うと
「アスパラを通して仲間ができて、出荷先や食べていただく方、周りの方と繋がりができたこと。それと体をよく動かして過ごせること」との答えがありました。
現役での仕事を退職した後の人生は人それぞれですが、体をよく動かして、人と繋がり暮らし続けている小林さんの生き方からは、老後暮らしの一つのお手本として学ぶべき点が多々あるように感じました。
もうひと月半ほどしたら「春芽」が出始める時期。束の間の農閑期を経て、小林さんの忙しい日々がまた始まります。アスパラの紅葉に約束された証である「春芽」に囲まれて、活き活きと畑で過ごす小林さんの姿を今年も見ることができそうです。
NPO法人英田上山棚田団 水柿大地