畑に行くだけがすべてではない、鹿庭流の仕事術
市場を通さず自身で畑に足を運ぶ――これが、Sanukisを何より特徴づける要素であることは、疑う余地もありません。ですが、鹿庭さんの目はそのさらに先を見通しています。
「直接仕入れることよりも、地域にこういうお店があって、地域の人が『地元の野菜にもこういうおいしい野菜があるんだな』って気づいてもらうのが一番」
香川の人が野菜を通して足元を見直し、地域の魅力に気づく。地元のことを誰かに自慢したくなる。野菜は、あくまでもそういった目的を果たすための「手段」だというのです。
鹿庭さんが理想とするのは、地域の人が地域の人にお金を使う「健康的な経済」。ネットでの大量販売も考えられるなか、対面販売にこだわるのも、人の温もりが通い合う関係性の構築に重きを置いているからなのです。そして、目の前のやりとりからの広がりにも期待します。
「安いものを売って喜んでもらうんじゃなくて、子どもたちとか旦那さんとか、料理人さんに喜んでもらうことで、うちで買ってよかったなって思ってほしい」
深夜まで事務仕事をし、わずかな仮眠を取って、また早朝から畑に出て行く。ハードな毎日を送れるのも、野菜を売って終わりではなく、その向こうにある家庭や店舗までもが豊かになってほしいという思いがあってこそのものなのです。
一方で鹿庭さんが懸念するのが近い将来、必ず訪れるであろう食糧危機。食べ物の値段が高騰し、農家も減少する社会においては、生産現場とのつながりの深さがより重要度を増してくるといいます。
本当にいいものを仕入れるためのベースは、なんといっても人間関係。ひょうひょうと「そういう生き方が気持ちがいいんで」と語る鹿庭さんですが、これまで培ってきた農家との信頼は、私たちが生きるために不可欠な食べ物の安定供給という大きなテーマと向き合ううえで、大切なヒントを与えてくれるものといえるでしょう。
八百屋という形の「社会活動」をさらに前へ
前例のないやり方で、八百屋の常識を覆してきた鹿庭さん。「誰も先生がいない仕事」であるがゆえに、常にやりがいを感じ続けてこられたといいます。
「自分の使命やと思ってるんですね。野菜に対する使命とかじゃなくて、自分がどうやったら目の前の人だけじゃなくって、たくさんの人を喜ばせられるとか」
野菜を生産する側から販売する側に変わり、「なんのために八百屋をするのか」と自問するところから、自らに課せられた「使命」を見出した鹿庭さん。次なる目標について尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「食堂をせなあかんなって思って。自分たちの周りの人が生きよるときにある程度、野菜を確保できて、それを食べさすことができて。それによってお金を見つけられる仕事」
「農家を雇おうと。オレ自身は農業するひまもないし、若い人を農家として雇う。給料制にして」
野菜を通して、地域社会に忍び寄る問題を知ってほしい。食糧危機や雇用といった課題を受け止める器をつくりたい――鹿庭さんを新たなチャレンジへと駆り立てるのは、そんな迷いのない思い。八百屋を商売に終始させるのではなく、食への意識を高めるいわば「社会活動」の道具にしようというわけです。
「『Sanukisの野菜だったら(安心、おいしい)』っていうのが増えていくと、ちょっと役に立ってるなって。あとは子どもがね、ごはん食べるようになったとか」
「やっぱり人に対して影響力を持てる人になりたいですね。人を元気にしたりとか、気持ちを上げたりとか、自分が人に言うことに説得力とか影響力を持ちたい」
ちょっとしたことの積み重ねが、農業を、社会を変えていく。独立から5年、「Sanukis」というフィルターを通した「実験」は、まだまだ始まったばかりです。