2人目の「父」から手渡された1箱のみかんが産地直売の原点に
実は明夫さんには、2人の「父」がいます。実の父は自身が生まれて間もなく太平洋戦争で戦死。男手のなかった森近家は、新たに明夫さんのいとこを母の再婚相手に迎え入れることになりました。
「小さいころは、継子としてのもの(葛藤)はあったかな」
「家業の手伝いは仕事ではない」「子方は親方より遅く箸をつけ、親方より早く食事を終えなければならない」というような教育方針のもとに育った明夫さんは、育ての父についてそんな印象を聞かせてくれました。
修学旅行さえ自分から「行かせてくれ」とは言えなかったとのことですが、いまとなってはその後に生まれた兄弟とも分け隔てなく育ててもらった実感を持っているそうです。
なかでも象徴的なのが毎年、4人兄弟それぞれに手渡されていたみかんの大箱に込められたエピソード。20歳を目前に「(修行中で)仕事をしていないお前にも税金がいるんやぞ」とハッパをかけられていた明夫さんは、父からもらい受けたみかんを自宅近くの路上で無人販売することを思いついたのです。
そのころはまだまだ高級品だったみかんを売ることで生業とし、1人の大人として自立する。現在にまで至る産地直売の発想は、朴訥な父の愛情があってこそ生まれたものなのでした。
「理系農家」を生んだのはあくなきサービス精神
1983年、明夫さんは新たにたけのこ狩り園をスタートさせます。もともと自身で竹林の世話をしていたほか、親戚からも管理を委託されていただけあり、「山を開放するだけの話」とあっけらかんと当時を振り返ってくれました。
そして、ここからが明夫さんのサービス精神の見せどころ。「たけのこは草かな? 木かな?」「この大きさになるまで何年かかると思う?」と、生きた教材を使って訪れる子どもたちを楽しませました。
特筆すべきは、これらの知識は専門書などを通じて得たものではなく、自ら山に分け入り、竹の内部を伝う水の音に耳を澄まして仕入れたものだということ。自身の身体感覚をフルに活かして、農作物についての見識を深めていったというのです。
お客さんの声に応える形で、じゃがいもやとうもろこしの栽培にも乗り出してからも、五感を軸に据えた農業のあり方は変わりませんでした。
何年もの歳月をかけて、作物ごとの累積日照時間や気温をつぶさに記録し、「収穫するなら何日後」「今年の気象条件であれば、実がなるのはこれくらいの時期になる」といった、自分なりのおいしさの方程式を完成させたのです。理系農家・森近明夫は一日にしてならず。
「この地区で大ざっぱなのはワシぐらいしかおらんきん」
そう謙遜する表情に、明夫さんの人柄を見た気がしました。
農家はアーティスト、その代弁者として
長年、生産から販売までを一手に担ってきた明夫さんには、私たち消費者に伝えたいことがひとつあります。それは「農家はアーティストだ」ということ。
見た目には同じでも、同じ木からなったみかんでも、ひとつとして同じものはありません。工業製品とは異なり、決められた規格のない「作品」で喜びを届けられる。そこに生産者に共通する美学があるというわけです。
明夫さんの思いに共鳴してか、産直の現場には頼まれずともボランティアの人が足を運び、販売を手伝うようになりました。自身の経験から導き出された、プラスアルファの情報を惜しみなく提供してきたからこそ成り立つ、ギブ・アンド・テイクの関係です。
これまでに蓄積された膨大なデータは、なんとカレンダーやチラシの裏に記録してきたとのことで、形としては残っていません。ですが、それらは明夫さんの頭のなかに確かに刻み込まれています。この週末も、明夫さんは変わらずお客さんとのふれあいを楽しみにハンドルを握ります。
さて、最後にひとつ。「新たに農業に取り組みたい人に伝えたいことは?」という質問を投げかけたところ、明夫さんは少しの間考え込んで、こう答えてくれました。
「農業と農耕は違う」
仕事としての農業と、純粋な楽しみとしての農耕。両者の違いを確かめに明夫さんのもとを訪ねれば、農業のみならず生業という大きなテーマについても、新しいヒントが得られるかもしれません。