毎年1月15日から21日は防災とボランティア週間です。
そこで今回は2009年9月から2年間、JICA海外協力隊の村落開発普及員としてコスタリカの地方都市で活動した大川修一さんに取材を行いました。
大川さんは消防士としての経験を生かし、地域レベルでの防災教育に取り組み、現在は岡山市で「まちの防災屋」として活動を続けています。
協力隊参加までの道のり
大川さんが2002年より消防士として岡山市消防局で勤務していた頃、JICA海外協力隊として活動された同僚より、協力隊経験の話を聞いたことで、自分へのチャレンジと新たな経験の欲求が生まれていった。早速、海外協力隊に応募し最初の受験で合格したものの、当時の所属先の制度では休職しての参加ができないことから一度参加を見送り、その後制度が整備されたことから再受験し合格、2009年にコスタリカへ派遣となった。
コスタリカ赴任先での試行錯誤
大川さんの赴任地であるコスタリカのコバノは、首都からバスで7時間、道中はフェリーにも乗船する必要のある、人口3000人ほどの小さな町。配属先のコバノ災害対策委員会は、国の中でも新しい組織である国家災害対策委員会の下部組織のひとつではあったものの、これらの下部組織はコバノを含めどこもほとんど名ばかりの状態。コバノの住民を対象に防災の啓発活動をする予定で派遣された大川さんだが、着任してみると市役所で専用の机も場所も提供してもらえなかったそうだ。そのため、防災教育活動を始めるためのスペースを借りられる協力者を探したところ、農業省の関係者が好意で場所と机を貸してくれることになった。その縁で住民の農作業の手伝いをする機会を得て住民にも大川さんの顔や人柄を知ってもらえるようになり、以降は住民に好意的に受け入れられ、地域に馴染んでいく機会となった。
現地の宗教観に合わせた防災教育
大川さんがコバノで防災教育活動を始める前、防災についてコバノの人々に話をきいてみると、災害を「神様の意思」ととらえ、住民は起こるがままに災害を受け入れていることが分かった。災害を防ぐための活動は成果が見えにくい。また、ネガティブな話題が嫌われることもあり、災害を神様のせいとただ受け入れて、防災を考えない現地の考え方を変えることは難しく、どうしたら良いか思案していた頃、時同じくしてちょうど日本で防災に関するJICAの短期研修を終えたコスタリカ人の小学校の先生が活動のパートナーとして協力してくれることに。彼女のアイデアで、神様を大切にするコスタリカの人たちが身近に感じやすい「ノアの方舟」の話を導入の題材として、まず小学校低学年の子どもたちに紙芝居を使って災害のリスクと準備、対策についての基本的なことを伝えることになった。
「ノアの方舟」という旧約聖書にある物語は、悪に満ちた人間を裁くために神様が大洪水を起こした話である。神様と共に歩む正しい人であった主人公ノアは、ある日神様から命じられて、ノアと家族、そしてすべての種類の動物を一つがいずつ救うために、方舟を作りはじめる。人々に笑われようが方舟を作り続け、すべての動物を一つがいずつ、そしてノアの家族が方舟にのった後、大洪水が起き、神様の言葉を聞き、方舟にいたノアの家族、動物たちのみが助かる話だ。
また、子ども向けの童話「3匹の子豚」のストーリーは、狼をリスクに見立て、あらかじめリスクを学び、それに対して子豚が対策をして、難を逃れる物語として語られる。このように、身近な物語を使ってまずは災害に対する備えの必要性、リスクと対策について話をしていった。
地図を使った防災教育「DIG」との出会い
小学校高学年の子どもたちへは、当時JICAの防災プロジェクトで赴任していた専門家から勧められた「DIG(ディグ)」と呼ばれる災害図上訓練ワークショップを導入した。実際の地図上で「どこが危険か」「どのように避難するか」考え、危険箇所や避難経路を検討するこのワークショップを行った結果、課題が浮き彫りになり、その後、地域住民の発意によりでこぼこで通りづらくなっていた避難路の修繕や耐久性に問題があり、地震が発生すると明らかに壊れてしまう危険性の高かった水道管を修繕する、給水タンクを購入するなど現実的な改善につながった。
コスタリカは地震や津波の起こる国で、実際に大川さんの任期中にも地震が発生したことで、関係者も積極的に関わるようになり「防災フェリア」と呼ばれる、各学校で実際に学校の模型を作り危険箇所や避難経路を検討し、発表する防災イベントを実施するなど、地域全体で防災意識を高める取り組みとなり、この取り組みは普及モデルとして他の都市でも紹介されるようになった。
一方で「食料備蓄」などは費用面の課題や考え方の違いから受け入れられにくかったという。
過去の災害から学ぶ
また、大川さんは地域の歴史的な災害について、地域の高齢者から聞き取りをしてそれを学校で子どもたちに伝える取り組みも行った。単なる避難訓練にとどまらず、地震や津波など、災害の種類別に応じた対応法を考えていった。
帰国後、「まちの防災屋」としての活動
2011年は東日本大震災が発生した。大川さんは震災が発生した年の秋に帰国した。JICA海外協力隊の帰国隊員の多くは東北で活動していた。帰国後すぐに職場復帰した大川さんは、被災地に行くことは難しくても自分にできることがあるのではないかと模索していた。
消防署の担当業務に当時「防災」というジャンルはなく、防災は行政の危機管理課などの仕事という扱いだった。地域の「まち」で防災教育はできる、そう考えた大川さんは、2013年に岡山市で任意団体「まちのBOSAI屋さん、CUATROCICLO(クアトロシクロ)」を立ち上げた。
最初は保育園から始まり、小学校、公民館での防災ワークショップを通じ、異なる職種間での危機意識の共有や、地域の防災教育をすすめている。活動は徐々に広がり、公立小学校や公民館の防災イベントからも依頼が増加している。
「生活防災」と消防士としての視点
大川さんは、防災教育を通じて「リスクを日常の中で見つけ、少しずつ改善する」ことの重要性を訴えている。ワークショップ参加者が新たな視点を得たり、職場や地域の危機意識が変わったと感じる瞬間に活動の意義を感じる。日常に潜む危機に気づき、未然に防ぐ姿勢が大切であると思っている。
防災に関する活動は、活動と成果の関係が目に見えにくい。しかし、ワークショップを通じて関わった人と話す中で、今までにない視点を持てたと言われたり、職場の危機意識が変わった、リスクを認識し、改善につながったと言われることがやりがいになっている。
たとえば、何気なくおもしとして使っている2リットルのペットボトルに入った水。いつ入れたのか誰もわからない。ふたは誰でも開けられる。一見飲める形状のものに飲めないものを入れているのは危険。ささいなことだが大切なことは「生活に密着した危機予測と生活防災」それに伴う危機回避であると思っている。
消防士の仕事に生きる協力隊経験
「今は消防士の仕事の中でも、救急隊として仕事をすることが多いですが、この数年で外国人に対応することが本当に増えました」
現在も、岡山市消防局で現役で業務に携わる大川さん。様々な国の人々に対応する機会が、この数年目に見えて増えていると語る。コスタリカでの外国人としての生活経験が、異文化理解と不安を和らげるコミュニケーションに役立っていると感じている。
日常と活動への思い
まちの防災屋は無償ボランティアとして続けてきた地道な活動であるが、最初は年に数園保育園へ訪問する程度だった活動が、数年後に20数件程度まで増加。最近では公立小学校や公民館からも依頼が入る。時代が変わり、どこの学校も年間20時間程の総合学習の時間に防災学習をするようになり、求められる場面も増えてきたからである。当初は2人だったメンバーも、現在13人にまで仲間が増えた。ボランティア活動であっても、せめて協力メンバーの交通費などを捻出できる体制づくりが課題だと大川さんは率直に語る。
協力隊時代に行った現地での防災教育の経験を生かし、防災・減災の取り組みを日常生活や教育現場に落とし込むことができている。防災意識を自然に高める工夫や、リスクを日々の小さな行動として実践する「生活防災」の視点が、現在の活動においても生かされている。
たとえば、小学校高学年を対象にあるもので工夫して火を起こしてみる、限られたものを使って工夫して暖をとるなど、シニア世代の熟練した方に教わる場を作るのもひとつだが、地域とつながりすぎることに抵抗感のある世代もいるので「地域のつながりありき」と考えるのではなくまず「生活防災・家庭防災」をキーワードに関わり方も工夫している。
ささいなことが怪我や事故につながると、準備しておけば、防げたかもしれない。防災教育を通じて「ケガしないで」「災害で死なないで」「避難所でいがみあわないで」と語る。日常生活の中で自然と災害や危機に備える意識を根づかせたいとする大川さんの活動は、少しずつ着実に幅を広げている。