「脳梗塞」と聞くと、ご高齢の方が発症するものだと思いがちではないでしょうか?
しかし、若い方でも発症する可能性は充分にあります。
42歳のときに脳梗塞を発症した奥さんを支えている旦那さん。奥さんは、脳梗塞の後遺症によって記憶障害、言語障害、その他の機能障害があります。
「明日は我が身として感じてほしい」という思いで、旦那さんはTikTokで「介護家族(@kaigokazoku)」として発信し続けています。その思いについて話を聞きました。
42歳で脳梗塞に…
倒れたときの奥さんは「ふくらはぎが痛い」ということ以外は、どこも異常はありませんでした。
しかし振り返ると、倒れた当日、料理上手な奥さんが作った晩ご飯のカレーは具材が乱雑にカットされており、火の通り具合が悪かったといいます。
「それが脳梗塞の兆候かと言われれば、疑問が残るところですが…」と旦那さん。
旦那さんは20歳のときに、自身のお父さんが脳梗塞で倒れた経験がありました。
そのため、座り込んで目が虚ろな奥さんを見た瞬間に「脳梗塞だ」という直感があったといいます。しかしその当時、娘さんたちは小学2年生と4年生。2人の手前、心配をかけまいと冷静に対処をしました。そのときは「脳梗塞といえど発見が早かったのと、処置が間に合って後遺症も少しくらいだろうと軽く考えていた…」といいます。
また、奥さんは血栓溶解療法ができる時間内で救急搬送されたため、手術は数時間で終わるはずでした。しかし、手術があまりにも長時間だったことから、旦那さんは不安になります。
※血栓溶解療法…脳梗塞などの血栓(血液の塊)によって血管が詰まった場合に、その血栓を溶かして脳の血流を再開させる治療。
そして翌日の早朝に、血栓溶解療法の最中に血栓が破裂し、広範囲に脳が侵され血栓回収術に切り替わったこと、そして後遺症も重くなるだろうと言うことを聞かされます。しかし、そのときはまだお父さんのように後遺症が残ってもリハビリをこなし、それなりには回復していくだろうと思っていたのです。
※血栓回収術…脳梗塞や急性動脈閉塞症などの血栓による血管の詰まりを解消するために、カテーテルを用いて血栓を取り除く治療法
ところが倒れてから翌々日の朝、旦那さんが車で病院へ向かう途中に病院から電話がかかってきました。
「奥さんの容態が急変しました。今すぐオペをしないと命に関わります。オペが成功したとしても目を覚まさない可能性もあるので、オペをするかどうか決断して下さい」とのことでした。その電話に「命だけでも助けてやって下さい」と返したといいます。
病院へ着くなり、主治医から「脳浮腫が起こり、瞳孔が開いて危険な状態なので、頭蓋骨を開く開頭減圧術をしなければならない」という説明を受けました。それだけではなく「命だけは助かったとしても植物状態のまま生きることになるかもしれない」「今は奥さんの若さ(当時42歳)にかけるしかない」とも言われたのです。
旦那さんは「何とかなるだろうという甘い考えが崩れていく感覚になりました」と、当時の思いを語ります。
そして手術をするためには、何枚もの同意書にサインをしなくてはなりませんでした。そのとき、込み上げてくる嗚咽と手の震えで名前が書けなかった…と当時のことを思い出します。
手術をして命は助かった奥さんですが、SCUに入ることになりました。そこで面会するとき看護師さんに「奥さんの姿が変わっていますので、どうか心の準備だけはしてください」と言われたのです。その言葉通り、10本近くの線や管に繋がれた奥さんを見て呆気にとられたと話します。
そこでも説明を受けますが、やはり目を覚ますかどうかはわからないということと、もし目を覚ましたとしても、歩けるとか話せるとかそんなレベルの脳梗塞ではないということでした。
しかし「植物状態だったとしても、娘たちのためにも生きて帰って来てくれただけでも嬉しく感じました」と旦那さんは話してくれました。
※SCU(Stroke Care Unit)…脳血管障害(脳梗塞・脳出血・くも膜下出血など)の急性期にたいする治療を行う脳卒中専門の集中治療室。
TikTokの投稿では、感情が一時希薄だったときがあるとは思えないほど、奥さんと旦那さんの笑顔がとても素敵です。しかし、奥さまの笑顔が戻るまでにはさまざまなことがありました。
実際に、意識のない状態でも耳は聞こえているという話から、面会するたびに耳元で励ましの言葉ではなく、日常のくだらない笑い話をしていたという旦那さん。
それは、お父さんの過去の入院中に、他の脳梗塞の患者さんで右麻痺の方は感情が薄くなっていたような記憶があったからでした。それだけは娘さんたちの心の負担になるため、いつか笑い合えるよう「笑う」ということを意識して接していたのです。
急性期病院から回復期リハビリ病院の180日間、奥さんの感情は希薄でした。家に帰ってきた当初は自分の家だということもわかっていなかった奥さんでしたが、2~3ヶ月後には感情がみるみるあらわれてきたといいます。当時のことを奥さんに聞いてみると「病院にいたときの記憶がない」と。
また帰ってきた当初は、食べること以外、歯磨きはもちろん顔を拭くことなどもできませんでした。旦那さんは数ヶ月間一緒に行ったり、奥さんに思い出させたりを繰り返す毎日。そんな状態だったため、ほとんどの生活に関するサポートが必要になっていました。
「ベッド移動に車いす移乗、トイレ介助に…挙げたらキリがありません」といいます。
そこで旦那さんは、TikTokでの投稿やライブ配信で「在宅介護は覚悟と信念を決めてからやること」ということを必ず言っています。それには「かわいそうだから」とか「夫婦だから」とか軽く考えてしまうと後悔してしまうため、覚悟と信念を持って在宅介護にあたっていること、介護は綺麗事では済まないという考えがありました。
現在の奥さんの状態は、症候性のてんかんや、排便ショック、便秘などはありますがおおむね良好だといいます。通院は月に1回で、年に1回の血液検査とMRI検査を行っています。
もともと原因不明の脳梗塞という診断結果で、血圧、血液共に正常。そのため血流を促す薬は処方されておらず、ヒートショックも起こりにくいとのことです。
また、感情や表現は今もどんどんよくなっており、全失語のため言葉ではなくジェスチャーや意味のない唸り声ですが「最近、元気だったころのママの性格に戻ってきたから、いちいちうるさくなってきた…」と娘さんたちが言うほどまでになりました。
※症候性のてんかん…脳梗塞が原因で発症するてんかんのこと。
※排便ショック…排便時に腸の神経を介して起こる迷走神経反射や起立性低血圧によって、血圧が下がり、めまいや立ちくらみ、失神などの症状を引き起こすこと。
「笑い」を大事にして家族みんなで向き合う
旦那さんは、病気や介護についてTikTokでさまざまな投稿をしています。そこで発信している通り、在宅介護は綺麗事だけでは済みません。
「在宅介護・脳梗塞と向き合っていくうえで、周りからの心無い言葉や態度はもちろん、介助者の介護離職の問題など介護に触れると大変さは身に染みる」といいます。脳梗塞に関しては「左脳右脳で症状が異なり、詰まった箇所や後遺症の出方も人それぞれで同じということはないのです。生活習慣が整った方でも発症するときはするという運みたいなもの」だと語ります。
介護生活となったことについては嘆いていても仕方がないため、そこは覚悟と信念を決めたのだから、家族のためにも「笑い」を大事にして、旦那さんは奥さんの在宅介護と脳梗塞の後遺症に向き合っているのです。
娘さんたちについては、生まれたときからおじいちゃん(旦那さんのお父さん)が脳梗塞だったことから、見慣れていたのか、心の免疫みたいなのがあったといいます。
投稿の中で、娘さんたちに同じ歳の子たちに伝えたいことを聞いた旦那さん。娘さんたちは一言「簡単な手伝いや料理はできた方がいい」でした。そのことについて「ヤングケアラーの問題があってややこしいのですが、当時どうしても私の帰りが遅くなるときなど手伝ってもらわないと無理なときもあったので…」と話します。
ヤングケアラーにならないように気をつけていましたが、奥さんが脳梗塞になってから6年、2人の娘さんは炊事や洗濯は完璧にこなすといいます。そしてお姉ちゃんの方は「介護職の道」に進むとのこと。
リハビリ病院に入院中のときにはコロナ前だったこともあり、クリスマスパーティーが催されてケーキとコーヒーが出ました。そのとき、何もできなかった奥さんが、コーヒーカップを持ち1口飲んで「は〜」って言ったとき、嬉しくて涙が出たという旦那さん。
また、在宅介護ではできなかった歯磨きや、顔拭きなどのできなかったことができるようになり、意思疎通もできるようになってきたときにも嬉しかったと語ります。
なおリハビリ病院については急性期病院だったため、頭蓋骨の1部を外し、万が一のために戻さず転院。そのため、しっかりとした本格的なリハビリを行うことができない状況でした。最大180日の入院と決まっているため、本格的なリハビリは頭蓋骨を戻してひと月あるかないかだったという状況でした…と当時のことを話してくれました。
在宅介護はいつか考える身近な存在だと知ってほしい
旦那さんの投稿の中で印象的なのは「明日は我が身ということを私たちを見て感じてください」ということ。
「とにかく明日は我が身。育児は大きくなると手がかからなくなりますが、介護は加齢によりどんどん手がかかるようになり、しかも看取るまで続きます。介護者だけでなく介助者も歳をとるので、年々しんどくなっていくでしょう。怪我は一時介護は一生…同じく実父を介護している母の言葉です。介護の大変さはやってみて初めて気づくことだと思います。でも、私の配信や投稿を見て、家族の介護に備える知識を少しでも付けておくことが大事だと感じてもらえたら幸いです」
何も知らないところから介護が始まると、親子喧嘩、兄妹喧嘩、果てには親族関係にまで及ぶこともあります。
「そのときが来たら…ではなく、そのときが来るまでに…を考えてもらえれば。悪い言い方をすると、介護は必ずやってくる、そしてそこから逃げられないとでも言いましょうか」
今後、施設や事業所、介護職が減っていくと言われています。そこで、旦那さんの願いは「おそらく在宅介護が主流になると思いますが、多くの人に投稿やライブを観てもらい、嘘偽りのない綺麗事抜きのリアルな在宅介護の実態を知ってほしい」ということ。
「私自身は少し早すぎましたが、在宅介護はいつか考える身近な存在だと知ってほしいです」と語ります。そして旦那さんの夢は「娘たちが嫁に行くときには、妻が娘の名前を言えたらいいなあ…って密かに思っている」ことです。
TikTokには「もしあなたの大切な人が、記憶と言葉を失ったら…そして体の自由まで失ったら…そう考えたことはありますか?」と問われています。誰が悪いわけでもなく、病気のせいで人生が変わってしまうこともあるのです。
「介護家族(@kaigokazoku)」さんの現状を、自分自身に置き換えて考えてみたらどう感じるでしょうか?
「明日は我が身」と思い、介護について考えること、備える知識をつけておく必要があるのではないでしょうか。