東京2020パラリンピックの開会式や2021年のNHK紅白歌合戦「マツケンサンバII」に、車いすダンサーとして出演したかんばらさん。彼は、生まれつき「先天性二分脊椎症」という障がいを抱えています。
この障がいにより、車いすで生活していますが、それを感じさせない力強いパフォーマンスで観客を魅了し続けています。
※二分脊椎症とは、先天的に脊椎の骨が形成不全となって起きる神経管閉鎖障害の一つであり、両下肢の運動障害や感覚障害が見られます。
そんなかんばらさんに、どのようにして車いすダンサーとしての道を歩むことになったのか、そして今後への思いを伺いました。
先天性二分脊椎症について
かんばらさんが自身の障がいを意識し始めたのは、5歳のころだったそうです。 「当時、歩けない自分をどこか“悪い”と感じていた気がします」と彼は振り返ります。
小学校に上がってからは、友達が普通にできることが自分にはできないもどかしさが次第に増していきました。
小学3年生のある日、かんばらさんは意を決してお母さんに聞きました。
「鉄棒の逆上がりも頑張ってみたけど、どうしてもできない。リハビリをしているけど、僕はこの先一生歩けないの?」
お母さんは真剣な顔で、彼の目を見つめ、正直に伝えました「あなたは一生歩けないのよ」
その言葉を聞いた瞬間、かんばらさんはショックで胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。しかし、その時のお母さんの言葉が、やがて自分の体と向き合う勇気につながっていきます。
あの日から少しずつ、かんばらさんは気持ちを切り替え、友達とゲームをしたり、一緒に笑い合う時間の大切さを知りました。
「障害を“受け入れた”というよりも、歩けなくても楽しいことがあるとわかり、前向きに“歩くことを諦める”感覚が芽生えました」と穏やかに語ります。
下半身が不自由なため、車いすを使用しているかんばらさんですが、現在の日常生活の中で困るのは階段しかない場所だといいます。階段といっても、2段の階段だけでも諦めることがあるそうです。
普段の生活で階段があると行くのを諦めることはありますが、 旅行先などでは階段があっても諦めないといいます。かんばらさん自身はハイハイをして階段を上がり、奥さんや周りにいる方に8kgほどの車いすを運んでもらえるようお願いをするそう。そうして行きたい場所には行くように工夫しているのです。
車いすダンサーとして活躍
車いすダンサーとして東京2020パラリンピック開会式や、2021年NHK紅白歌合戦「マツケンサンバII」に出演したかんばらさんですが、ダンスを始めたのは29歳のときでした。
ある日、ヤマハの「&Y01」がパフォーマンス専用車いすとしてテレビのニュースで紹介されていました。そして、数ヶ月後にSNSで「&Y01」のパフォーマーを募集していたため、かんばらさんは応募することに。ダンスを踊りたいというよりも「あのカッコいい車いすに乗りたい」というのがきっかけだと話します。
普段の生活では側弯症で曲がった背中や、細い脚などを他の方に見られることに抵抗があり、ゆったりしたパンツを穿くなどして分からないようにしていたというかんばらさん。しかし、ステージ出演する際には衣装担当の方から、背中が出る衣装を着て貰えないか相談を受けたそうです。
※側弯症(そくわんしょう)…背骨が左右に弯曲した状態で、背骨自体のねじれを伴うことがあります。
その衣装でステージに立ったところ、お客さんから「美しい」という感想をいただいたのです。自分では「醜い」と思っていたのに、ステージ上では「美しい」と思ってもらえることに驚いたと語ります。
「車いすでもすごい」という反応よりも、シンプルに「かっこいい」「美しい」という反応が多いのは嬉しいですと話していました。
ダンサーとして活動をしていていく上で悩んだことは、ダンサー、システムエンジニアの仕事、家族との時間のバランスでした。そこで、奥さんと話をして納得できるところを探っていったといいます。
かんばらさんは、多くの舞台やイベントで活躍しています。その中で一番印象に残っているのは、東京パラリンピックのステージでした。
「本番の際に小雨が降っていましたが、ステージで上を見上げる動きをした際に、自分に向かって照明で照らされたキラキラした雨粒が降り注いでいる瞬間が一番印象に残っています」と語ってくれました。
困ったときに「助けて」と言える社会へ
かんばらさんには2人の子どもがいます。「家族は大切な存在」と彼は語り、家族との日々をとても大切にしています。
ある日、公園で遊んでいたときのこと。遠くからこちらをじっと見てくる子どもがいて、それに気づいた娘さんがかんばらさんの後ろに隠れて「怖い…」とささやきました。
この経験から、彼は「最近は、障害は自分一人のものではなく、家族の中で一部シェアしているように感じる」と言います。
障がいを抱えて生きることは、本人だけでなく家族にも影響を与え、共に支え合いながら歩んでいるのだと気づかされた出来事でした。
かんばらさんが望む社会の姿について「困っている人に声をかけることはもちろん大切ですが、困っている側が『助けて』と気軽に言えることも重要だと思います」と話します。
きっかけは、奥さんがベビーカーと子どもを抱えてカフェを訪れたときの体験です。
そのとき、周りに人はいたものの、誰も扉を開けるのを手伝ってはくれませんでした。
奥さんからその話を聞いたかんばらさんは「お願いしてみたらいいのに」と思ったそうです。
「扉を開けてもらえませんか?と頼んでみればいい」
その経験を通して、彼は「周囲が全ての困難に気づけるわけではないからこそ、気軽に『手伝ってください』と言える社会であってほしい」と考えるようになりました。
また、かんばらさん自身も困った時に助けをもらうことがあるため、逆に困っている人を見かけたときには積極的に手を差し伸べるようにしています。
例えば、道に迷っている外国人を見かけたときなど、自分が受けたサポートを他の人に返すつもりで行動することを心がけています。
「助け合う気持ちが循環することで、もっと多くの人が気軽に助けを求められる社会になればいいですね」と、かんばらさんは優しく微笑みながら語ってくれました。
自分の表現の幅を広げていきたい
かんばらさんは「大きいステージには立たせてもらったので、これからは大きな舞台に立ちたいという気持ちは少なくて、それよりも他のジャンルのダンスに挑戦して自分の表現の幅を広げたい」と今後について話します。
たとえ下半身が不自由であっても、車いすダンサーとして大きな舞台に立ったかんばらさん。
その挑戦を見て、感動した方や力をもらった方もたくさんいるのではないでしょうか?そして何よりも、同じような障がいがある方の大きな力となるでしょう。
かんばらさんの挑戦はこれからも続きます。