病気が進行するにつれて『肌が黄色』に。その後…”余命2ヶ月”を宣告されたが「私は自分が難病だって知っていたから、できるときにやりたいことをした」挑戦を続ける姿に迫る

病気が進行するにつれて『肌が黄色』に。その後…”余命2ヶ月”を宣告されたが「私は自分が難病だって知っていたから、できるときにやりたいことをした」挑戦を続ける姿に迫る
黄疸症状が出たときのそらりんさん(@sora_rintarouさんより提供)

「私は自分が難病だって知っていたから、できるときにやりたいことをした」と語る女性、そらりんさん。

そらりんさんは、自己免疫性肝炎と原発性硬化性胆管炎という難病から肝硬変になり、余命2ヶ月の宣告を受けます。しかし肝移植手術によって回復し、余命宣告から3年が経ちました。現在も通院が必要で入院をすることもありますが、前向きでさまざまなことに挑戦しています。

今回は、そらりんさんに病気のことや移植後のことなどを聞きました。

自己免疫性肝炎と原発性硬化性胆管炎の2つの難病が…

そらりんさんは小学生のころ、嘔吐と発熱があったため近所の小児科へ行きます。そして血液検査と尿検査をした結果、肝機能に異常な数値が見られたのです。そこで県内の大きな病院へ救急搬送となり緊急入院、自己免疫性肝炎の疑いがあると告げられました。

このときのことをそらりんさんは「病気の予兆はありませんでした。緊急入院だったため何が起きたのかわからず…。また、当時小学生だったので肝臓の病気としか知らされていませんでした。親と離れ学校にも急に行けなくなり、最初は心細く寂しかったです」と振り返ります。

約3ヶ月入院し、いろいろな治療を試してみますが原因は不明。その後、小児科に定期的に通院し、内服薬により症状は落ち着きました。

ところが、21歳のときに立ち上がれないほどの痛みで目が覚めて病院へ。胆管炎を起こしており、原発性硬化性胆管炎と診断されます。

そらりんさんに襲いかかった病気は、自己免疫性肝炎と原発性硬化性胆管炎。両方とも体がだるくなり、疲れが取れない症状が常にあるといいます。

※自己免疫性肝炎…多くの場合には慢性に経過する肝炎で、肝細胞が徐々に障害されます。血液検査では肝臓の細胞が破壊される程度を表すASTやALTが上昇します。自己免疫性肝炎が発病するのには免疫の異常が関係していると考えられています。特徴的な症状はなく、病気が進行した状態で発見される場合もあり、肝硬変へ進行した状態では、下肢のむくみ、腹水による腹部の張りや吐血(食道静脈瘤からの出血)などの症状がおきることがあります。

※原発性硬化性胆管炎…胆汁の鬱滞をきたす成因不詳の胆管炎です。肝臓内・外ともに胆道・胆管に炎症性変化、線維化、狭窄を起こし、徐々に進行します。症状は徐々に現れ、疲労やかゆみの悪化がみられるほか、後に黄疸が生じます。

黄疸症状が出たときのそらりんさん(@sora_rintarouさんより提供)

病気が進行するにつれ、そらりんさんの見た目には肌が黄色くなる黄疸症状が現れ始めます。
それに対し「人に会いたくなくなり、買い物などでも店員さんと目を合わせるのも嫌でした。マスクとサングラスをかけ、服はなるべく黄色や茶色のものを着て、肌の色を目立たせないようにしました」とつらかった思いを語ってくれました。

余命宣告から3年が経ったそらりんさん(@sora_rintarouさんより提供)

余命2ヶ月の宣告

そらりんさんは、21歳のころから入退院を繰り返します。そして26歳の9月、余命2ヶ月ほどだと告げられました。

そのときのそらりんさんは、体がかなりしんどくて肝機能や黄疸の数値もあがり、お腹に水も溜まって食欲もなく、寝たきりになっていた状態。そうした状態だったため、余命宣告については「まぁそうだろうなと思いました。余命宣告をされてもあまり驚きませんでした」と、3年前のことについて思い出しながら話してくれました。

腹水が溜まっている状態のとき(@sora_rintarouさんより提供)

そして2021年11月、26歳で肝移植をすることになりました。
ですが、移植を決断するまでにはやはり抵抗があり「人様の肝臓をもらって生きるのは、生き物として良いのだろうか。ドナーの体を傷つけてまで生きたいだろうか」など、いろいろな葛藤があったといいます。

しかし医療従事者の方達からは、移植は悪いことではなくちゃんとした医療だということ。周りの家族や友人達からは生きてほしいということ。そうしたことを言ってもらい、そらりんさん移植を決断しました。

「死にそうなときに救いの手を差し伸べてもらうと、やっぱり死にたくないと思いました」と語ります。
そして、移植したことに関して後悔はないとも話していました。

移植をするまでは病気とはなかなか向き合えず、無理をしたこともあったというそらりんさん。ですが「移植という大きな手術を経験し、多くの人がいて助かった命なので、私自身が生きることが恩返しだと思います」といいます。

そのため、今後も通院し病気と付き合っていくことに対しても嫌ではなく、定期的な体のメンテンナンスだとそらりんさんは考えています。

行きたかった美術館へ(@sora_rintarouさんより提供)

「難病でも悔いのないように」とSNSで発信しているそらりんさん。入院中は心は元気でも体は動けなかったため、退院したらいろいろやりたいと考えていました。

体力のこともあるため、すべてが叶うわけではありませんが「いつでも行ける。いつか行こう。だと願望で終わっちゃうだけだから行きたかったら行く!」と美術館やいちご狩りに行った様子などを投稿しています。

「体と相談しつつ自分が喜ぶ場所に行こう」ととても前向きで、その瞬間を大事にしています。

現在のそらりんさんは、肝移植手術をして回復。ですが、肝機能の数値がやや高かったり、年に3~4回胆管炎などを起こし入院したりすることもあるといいます。
また健康な人と比べるとかなり疲れやすく、日常的な疲れや胆管炎により発熱することも。そこでそらりんさんは在宅勤務で仕事をしています。

移植で助かる命があることを知ってほしい

そらりんさんは、さまざまなSNSに自身のことを発信しています。
TikTokは寝たきりの状態のときに腹水や黄疸の変化を記録するために開設、Instagramでは自分の記録用として日記を記しました。

「SNSには移植に関しての情報が少なかったので、同じような状況の人の役に立てれば…」という思いが発信していくきっかけとなりました。

移植ということに関して「さまざまな意見があるかとは思いますが、間違った情報も多く流れています」といいます。そこで、そらりんさんは「正しい情報を多くの方に知ってもらい、移植で助かる命があると知ってもらいたい」と、今後伝えていきたいことについて話していました。

そらりんさんが製作した缶バッジ(@sora_rintarouさんより提供)

また、もともとデザインや物作りが好きだったそらりんさんは、目に見えない障がいを持っている方へのグッズを製作して販売しています。
缶バッジやキーホルダー、ステッカーなどがあり「ヘルプマークと併用して使えるものがあれば…」という思いが込められています。

※ヘルプマーク…義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。

そらりんさんの今後の目標は、SNSを継続していくこと。移植後は、働くようになったため頻繁にはアップできませんが、多くの人から「参考になった。投稿を見て移植を頑張れた」と言ってもらえたので、今後も継続して発信していきたいと語っていました。

移植手術をして回復し、余命宣告を受けた日から3年が経ったそらりんさん。さまざまなことに挑戦しながらも「今を大切にし、今を大切に生きたい」と一つひとつのことを充分に楽しみ、そのときの思いを嚙みしめている様子が伝わってきます。

当たり前にくる毎日は決して当たり前ではなく、健康に生きていられること、食事ができること、暑さや寒さを感じられることなど、小さなことでも感謝し、その一瞬を大切にしたいと改めて考えるきっかけとなりました。そらりんさんの投稿から、そう感じた方も多いのではないでしょうか。

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