認知症になると現在よりも過去の記憶が鮮明になる。介護の傍らで、そんな認知症患者の話をもとにしたオリジナルソングを歌うシンガーソングライターがいる。香川県高松市の介護福祉士、かんのめぐみさんだ。2023年8月、母校でもある香川短大の夏期講義に登壇した、かんのさんの授業を覗いた。
船乗りだったおばあちゃんの歌
「私は船乗りや。強ないとできんのやで。海は怖いけんな」
認知症を患うYおばあちゃんの口癖だった。話を聞くと、夫が運転士でYおばあちゃんが機関士という夫婦船に乗っていた。2人は大阪まで鉄くずを運ぶ仕事をしていたという。木造の小さな木船だった。
「広い海の中を小さな船で航行していたなんて」。かんのさんは驚き、Yおばあちゃんの話を歌にすべく、要素を書き出していった。「木船」「子どもは3人」「Yおばあちゃんの口癖」などなど。
そして、Yおばあちゃんとかんのさんの思いが重なる部分を歌詞にまとめた。
「パズルを組み立てるような感覚です。自分の感情をおばあちゃんのストーリーに重ねる作業は、私自身をケアするような意味合いもあります」
Yおばあちゃんの人生からインスピレーションを受けた曲は「ヨーソロー」と名付けた。船乗りの言葉で「そのまま直進せよ」という意味だ。
《どこでも波打つ海原だ 心の波に負けそうになったら 舵を切れ 舵を切れ ここは海 どこにでも繋がっている》
かんのさんは、このサビの部分で「海の航海と人生の航海を重ねた」という。夏季講義でギターを弾きながらこの曲を披露すると、大きな拍手が湧いた。学生からは「私、この曲がめっちゃ好きです」という声も上がった。
トイレから出てこないおばあちゃん
香川短大の講義では、かんのさんが認知症の基本的な症状をレクチャーし、具体的な患者の様子や曲作りについて語った。その後、学生が曲のキャッチコピーを考えるグループワークがあった。
かんのさんが語る患者の様子に、学生は真剣な表情で聞き入った。
トイレから出てこないTおばあちゃんは、おびえたような表情で便座に座っていた。かんのさんが様子を見に行くと、Tおばあちゃんは「いま爆弾が落ちよるやろ。ここから出られんわ」。
戦争中に防空壕にいた時の記憶がフラッシュバックしていた。トイレという閉鎖空間に入ったことで、過去の辛い記憶が呼び戻されたという。
Aおばあちゃんには、周りには見えない子どもの姿が幻影として見えた。「あそこに子どもがおるやろ。私が世話せんといかんから」と、子どもに気を取られるAおばあちゃん。
そんな時、かんのさんは「そんな子はいませんよ」とは言わない。「そうなんだね。どんな子が見えるの?」とAおばあちゃんの世界に寄り添う。そして、Aおばあちゃんの内面を掘り下げていくという。
「その人を掘り下げることは、歌を作ることも認知症のケアも同じです」と、かんのさんは語った。
認知症の患者と会話することは「それだけで大変ではないですか」と聞いてみた。かんのさんは、「お年寄りと話していると居心地の良さを感じる自分がいます。それに、お年寄りに対する好奇心もあります。『こんな風に聞いたら、どんな答えが返ってくるかな』と探究するような気持ちで会話するんですよ」と話した。
認知症をテーマに十数曲
かんのさんは高校生の頃から、オリジナルソングを歌い始めた。当初は、思春期の心情をつづるような曲を作っていた。香川短大を卒業後、介護福祉士として働き始める。そこで、高齢者の様子を観察するうちに「高齢者の世界を歌ってみると面白いのではないか」と思ったという。
認知症をテーマにした曲は十数曲。「どの話が本当なのかということは、あまり気にしないようにしています。私が知っているのは、高齢者の長い人生のほんのわずか。真実を追求するよりも、その人のストーリーに自分の感情を重ねることを楽しんでいます」
かんのさんは、介護の仕事を始めて3年で一度退職を経験している。頑張りすぎて、心身ともに無理をしてしまった。その後5年ほど、シンガーソングライターと介護の仕事の両立に悩んだ。今は歌うことにも理解のある職場に出合えたため、「介護と好きなこと=シンガーソングライター」の二刀流が実現できているという。
「これから、ますます介護職場の人手不足が深刻化すると思います。介護と好きなことの両方を認めてくれる働き方がもっと広がってほしいです」
職場にも恵まれ、かんのさんは新しい試みを始めた。それは、入所者の最後の日々を記録する「看取り動画」。きっかけは、コロナ禍で家族と会えないまま患者が亡くなるケースが増えたことだった。
施設での日常を3分の動画にまとめて、家族に贈るようになった。動画には、楽器を演奏したり、食事をする高齢者の姿が収められている。
かんのさんは「私にとって高齢者は、私が知らない世界や物事を知っている人です」と話す。そこには認知症の患者という枠組みを超えて、一人の人間である高齢者に対するリスペクトがあった。
「家族が認知症になったら、私たちを頼ってほしい」。かんのさんの言葉が胸に響いた。