「独り暮らしでも、寂しいなんて少しも思わんのよ」。むしろ「独りがええ、施設なんかに入りたくない」と言わしめるのは、仲の良い老女たちの『さわやかクラブ』の存在にありそうだ。長年、老人クラブの世話をしてきたこともあって、今も皆さんが鳥居さんの家を気軽に訪れる。独り住まいの鳥居さんの様子を窺いに訪ねるのだが、「実はその逆でね、見守られてるのは後輩たちや」と、地域の老人会の会長さんはおっしゃる。
ご本人は、「お菓子を食べて無駄話をするだけやけどな……」と素っ気ないが、そうした人間関係を築いてこられた背景に、女子師範学校卒業後から神戸や小豆島で奉職された教職員としての生きざまが見えてくる。多くの人を導き、また導かれとも言える一生がごく自然に百歳を迎えられたのではとの思いを馳せた。
特筆すべきは長くされてきた御詠歌のこと。御詠歌は亡くなった人の枕元で哀悼を唱える五七五七七の和歌調の歌で、哀調に満ちた独特の節回しが要る。御詠歌をあげてもらうなら鳥居さんでなければとの願いが多いのも、人への思いやりを第一に生きて来られた心からの訴えが受け入れられるのだろう。近くの寺からも声が掛かり、その名声は高く、高野山の依頼でニューヨークのカーネギーホールで披露されたことが思い出される。
退職後に始めた大正琴も童謡から民謡まで何でもござれで、あちらこちらで教えるほどに。
飄々とした姿の鳥居さんを見ていると、整理整頓された家の中はとても百歳の方が独りで住まわれているとは思えない。少し前になりますが、炊事や食事も自分でなされ、パンまでも焼いたりしていたそうで、しっかりとした生活のリズムさえ見えてくる。それが長生きの秘訣なのか、それでも「耳が聞こえなくなったら困る。みんなと話ができなくなるからなぁ」と、健康で贅沢な長生きを楽しんでいらっしゃった。