子ども時代の夢を実現した大人の姿から「夢を持つ大切さ」を知ってもらおうと、香川県多度津町の海岸寺で12月27日、現役パリコレモデルのKIKO(平川葵子)さんと父親の平川淳さんが、「夢をかなえるまで」を子どもたちに伝えた。KIKOさんがウォーキングを披露すると、子どもたちは「すごい」と見入った。
挫折しても諦めずモデルに
「このお姉さんは、何度も挫折しながらパリコレモデルになる夢を実現しました」。こうKIKOさんを紹介したのは、父親で日本工業大学大学院教授の平川淳さん。淳さんが同県丸亀市出身という縁で、ゼミ生と共に多度津町の活性化に携わっており、弘法大師空海ゆかりの海岸寺が会場になった。
「冬のこども寺子屋」と題したイベントには、地元の子どもと大人が15人ほど集まり、パリで活躍するKIKOさんの物語に耳を傾けた。
KIKOさんは、身長191センチの父・淳さんから長身を受け継ぎ、小学生の頃から背が高かったという。「モデルになったら?」という何気ない周囲の言葉がきっかけになり、モデルを目指すように。以来15年間ずっと、その夢を手放さなかった。
転機は16歳の時。「周りと同じことをするのではなく、自分になりたい」と考えたKIKOさんは、どうすれば夢がかなうのか徹底的に自問自答したという。モデルになる夢を進学などで先延ばしにせず、「今その夢を生きよう」という答えを出して、カナダのバンクーバーに渡った。人脈を作ってファッションショーに出演したり、英語力を磨いた。
しかし、「もっと痩せるように」というプレッシャーを受けたKIKOさんは、17歳で拒食症になる。十分痩せているのに「太っている」と思い込んでいた。身長180センチに対し、体重が45キロまで落ちて救急車で搬送された。両親が病院に呼ばれ、強制的に帰国させることも話し合われた。
生死をさまよったKIKOさん。平川さんは「ここで諦めたらモデルになる夢も英語も、何もかも中途半端になると思いました。これまでの経験を生かすことを考えて、医師の指導のもとでやり直すことを選びました」と振り返った。
「健康的なモデル」という次の夢
「パリコレは簡単な世界ではありません」と、KIKOさんは子どもたちに語りかけた。拒食症を克服して「健康的なモデル」になることを決意し、一人でパリに拠点を移す。19歳のときのことだった。パリコレ出演という目標のために、フランス語を勉強しながら小さな誘いやチャンスを逃さなかった。
パリでは、モデルとして発信したい内容を持っていなければ淘汰される。KIKOさんは、エシカル・ファッションブランドを発足させて、地球環境を意識した活動も始めた。
実際に、音楽に合わせてウォーキングを披露したKIKOさん。「カメラを意識して、まばたきはしません。目線は絶対に落とさず、上半身がぶれないように歩きます」。子どもも大人も緊張感あふれる真剣な姿に見入った。
会場から「ショーで転びそうになることはありませんか」と質問されたKIKOさんは、「転んでもいいと思っています。転んだ後に、どうするかだと思います」と微笑んだ。拒食症から立ち直り、健康的なモデルになるという次の夢をつかんだ生き方と重なって聞こえた。
夢のサポーターだった父親
KIKOさんが夢を実現した背景には、子どもがやりたいことを否定しない父・淳さんの存在がある。敦さんは、会場の子どもたちに質問した。「勉強は好きですか」と問うと、ある子は「嫌い」と返した。
「勉強が嫌いだったり、面白くないのは、何のために勉強すればいいか分からないから。でも、夢のためだと分かっていれば辛くありません」と淳さん。KIKOさんもモデルの仕事のために、朝のヨガやランニング、健康的な食事をしていることを紹介し、目標があれば「辛いこともできる」と語った。
また、淳さんは「夢を持ったら恥ずかしがらず、言い続けることが大事。周りもサポートしてくれて、夢がかなうと思います。みんなも夢を話すんだよ」と話した。KIKOさんの夢を支えた父の言葉に、大人たちは頷いた。
夢を生きてほしい
実は、会場になった海岸寺の住職、上戸暖大(じょうと だんだい)さんにも夢がある。昭和の時代に、地域の子どもたちが集って勉強していた寺子屋文化を復活させることだ。淳さんと教え子の元ゼミ生2人が、共感して「冬のこども寺子屋」を企画した。
上戸さんは「これまで海岸のゴミ清掃から環境問題を考えるイベントなどに取り組みました。空海は『総合的に学ぶことが大事』と言っており、海岸寺でもさまざまな学びを提供したいと思っています」と話した。
「夢を持つだけでなく、夢を生きてほしい」。KIKOさんは、夢を目標に終わらせないことが大事だと強調する。新年を前に、夢を見つめ直したいと感じた。