京都駅から比較的近い距離にある、京都市右京区西院。目抜き通りの西大路通りから裏路地に入ったところにタイルづくりのファサードが目を引き、店まるごとアートを感じる料理店、「Maker」がある。建物は、築約70年、元質屋だったという。同店のシェフは、吉岡慶さん。まだ幼い2児の父親でもある。
吉岡さんは京都造形芸術大学で、ねんどや樹脂などさまざまな素材を使って造形物を仕上げたり、石や木を掘ったりと、彫刻の専攻課程を学び、卒業。その後は、アルバイトでイタリアンレストランでフロアスタッフとして足掛け6年、サービスに従事。そこで妻と出会い、その後結婚。妻も京都女子大学で建築を学んでいたそう。
Makerを開業したのは、2017年2月。これまで料理人の経験がないなか店を立ち上げたことについて、吉岡さんは、
「学生の頃からずっと店がやりたいと考えていました。どの分野にするか決めていなかったのですが、兄も和食店をやっていて影響を受けていました。漠然と自分で作ったものを売る商売か、飲食店を考えていました。もともと料理が好きで実家が仕出し屋だったので盛り付けなど手伝っていました。大学は一人暮らしだったので、ほぼ自炊、ときに手のこんだ料理もつくっていました。人を招いて料理を振舞ったり。飲食店をやろうと思ったのは、料理がモノ作りよりはるかに直感的に進められる点だと思ったから。店を始めてから現在、5年。立ち上げる3年前から店づくりの準備をしていました」と話す。
コンクリートむきだしの店内をベースに、床張りや、丸太を買ってテーブルづくりや、内装すべて、店づくりのすべてを一から、一人で作り上げた。
「トイレもひもを引っ張って流す昔のタイプなのですが、トイレの本体やハイタンクなど手にいれても、便器とタンクの組み合わせがわからないから、メーカーに聞くと前例がないからわからないとなしのつぶての返事が返ってきました。結局、自分で考えながら、答えを導きだしてやりました」と当時の事情を明かす。
店内の装飾は、アメリカの古い手動式のレジや木馬、三輪車など歴史を感じさせるアンティークの道具たちが所狭しと飾られる。
さらに、料理を提供する器もすべてアンティークで統一するという懲りよう。
「昔から、古いもの、アンティークが好きで、器など学生時代から集めていました。蚤の市で買ったり、ヤフオクで買ったり、古いものを置いている店で買ったり。古いものは1点ものが多く、人とかぶらないし。使ってきた人の手のあとが見えるもの、枯れた感じがするのも魅力。しばらく、ずっとヤフオクばかり見ている時期もありました(笑)」と振り返る。
同店は、ランチとディナーを営業。生み出す料理は、吉岡さんの母親がつくる野菜を中心にスパイスやハーブをふんだんに使い、盛り付けがシンプルながらも芸術的ともいえる。
今風な言葉で言うなら、「映える」という言葉がぴったりな料理の数々。料理を器にびっしりと盛り付けるのではなく、器と料理の間に余白をもたせて、料理を引き立たせる。
たとえば、鋳物のSTAUBの鍋のふたをあけると、そこには蒸し焼きされた小さめのカリフラワーがチーズをまぶされ、ひょこんと鎮座していたりする。意外性や芸術性を一皿、一皿で感じ、わくわくの連続といっても過言ではないかもしれない。
「僕は料理人の経験はありませんが、自分のなかの感性から料理を生み出しています。面白いと思えるものを作りたいという意識、斬新だな、と思う様な料理、素材とスパイスやハーブなどの組み合わせを考えて料理を編み出す。決して手のこんだ料理ではないんですけどね。いくつか料理本は持ってますが、料理本もパラパラとめくる程度。気に入った写真からイメージを膨らませて取り入れることはありますが、レシピ通りにつくることはほとんどありません」
そもそも、開業からこれまでレシピを残していなかった吉岡さんだが、最近はレシピを残し始めているという。「ほかのスタッフにもソースが作れるように、任せられるようにとあえて、レシピを残し始めました」と物静かに話す。
「メニューは旬の素材が切り替わったら素材を置き換えてメニューを継続。一品だけメニューを一から考えることもあります」
芸大を卒業して、料理人として生かすことができたことは何かを尋ねると、
「自分で何かを生み出す力、生み出すという考え方は芸大にいたときに培ってきました。ないものは自分でつくる。という考え方も大学で培ってきたものです」と語った。
最後に吉岡さんに今後の抱負を尋ねると、
「来年あたりにもう1店舗、料理店をやりたいと思っています。京都市内の繁華街で、物件探しから始めて、スタッフの確保もしなくてはなりませんね」と、意気揚々としている。
まだまだ、モノをつくりだし、生み出し、作り上げる吉岡さんの料理を通じてのアートの世界観は錆びることなく、磨かれ続けるにちがいない。