日本国内で緑茶の生産が縮小する一方、海外での売り上げが好調だ。財務省貿易統計によると、緑茶の輸出額は2019年を除いてここ十数年右肩上がりで、2021年には204億円と大台を超えた。
近年はタイでも抹茶がトレンドで、街中に抹茶スイーツやドリンクが溢れている。バンコクで和カフェを営むタイ人オーナーに、開業の経緯やタイで日本茶の魅力を広める秘訣を聞いた。
静岡のオーガニック茶葉に魅せられて
バンコク・アーリー地区の閑静な住宅地に佇む一軒家。引き戸を開けると、こぢんまりとした空間の奥に本格的な茶室が出現する。
「茶室のシンプルさはタイ人にとって新鮮で、 “畳の香りが好き”という方も多いですよ」
笑顔でそう語るのは、和カフェ「Chaya Teahouse」を経営するチェンマイ出身のナームさん。大学卒業後、タイの銀行で10年、さらに大手飲料メーカーで4年勤務したのちに、2018年6月に39歳で独立した。
「10代のときから『食や健康』に強い関心があって、20代前半には起業を意識していました。ビジネスに必要な経験を積みつつ、自分がやりたいことをずっと模索していましたね」
彼女がとくに惚れ込んだのは、日本の食や文化の奥深さだった。10年以上に渡って休暇のたびに日本を訪れ、高野山での宿坊やワサビ農家での収穫体験、京都で和食や精進料理の教室に参加するなど、様々な経験を通じて学びを深めた。
日本茶や茶道にも興味を持ち、各地で茶器を集めるように。そして2018年、友人の誘いで静岡の茶農家を訪れて、人生が大きく動き出す。
「親切なオーナーが農園を案内してくれました。緑が美しい茶畑や、豊かな土壌で丹精込めて育てられたオーガニック茶葉の深い旨味に衝撃を受けて……『タイにこのお茶を届けたい!』と強く思ったんです」
ナームさんは1か月後にタイで独立し、静岡で仕入れた日本茶の販売を開始した。当初は小売りがメインだったが、徐々に卸売り事業も拡大。そして2021年1月、和カフェをオープンした。
日本茶の輸入に立ちはだかる壁
ナームさんの店では静岡や京都、愛知から仕入れた上質な抹茶や煎茶、玉露、ほうじ茶などが楽しめる。だが開業当初、仕入れ先の開拓は至難の業だったという。
「初めて静岡の茶農家に仕入れ交渉をしたとき、 “タイ市場は見込めない” と消極的な反応でした。でも私は、タイの抹茶ブームや健康志向の高まりに大きな可能性を感じていたので粘りました」
高額な輸入関税にも悩まされた。タイでは海外から茶を輸入する場合、商品代金の90%が関税として上乗せされる。
「日本語が話せないので言葉の壁もありました。でもありがたいことに、周囲の協力があって次第に人脈が広がり、素敵な仕入れ先にも恵まれたんです」
コロナ禍で茶葉や茶器のオンライン販売を始めたところ、「自宅で美味しい日本茶が飲める」と支持を得て、少しずつ売り上げを伸ばした。和カフェの開業から1年半が経った今、国籍を問わず多くの人に愛される店に成長している。
「抹茶ラテ」を日本茶の世界への入り口に
店で一番人気のドリンクは「アイス抹茶ラテ」。甘さ控えめで、濃厚な抹茶の旨味を味わえる。しかしこのラテ人気は、ナームさんにとって想定外だった。
「当初は薄茶や煎茶を全面的に推すつもりでした。でもタイ人にとって日本茶の苦味や渋みは独特で。『抹茶=ラテ』と思い込んでいる人も多く、薄茶を淹れると『ミルクは無し?』と驚かれることもよくあります(笑)そこでタイ人の好みに合わせて、ラテの種類を大幅に増やしました」
和菓子で一番人気の「抹茶どらやき」は、浜松市の老舗和菓子店「巖邑堂」から仕入れている。抹茶クリームはナームさん考案レシピで、クリーミーで上品な味わいが評判だ。
「以前に参加した巖邑堂の和菓子作り教室で、日本人シェフとのご縁があって。うちで美味しい和菓子を提供できるのは、彼の協力があってこそです」
また、店では茶道や生け花を体験できるワークショップも定期開催している。巖邑堂バンコク店のシェフ直伝、練り切り細工や苺大福作り教室も好評だ。
「四季折々の練り切りは、『季節を楽しむ日本人の感性に触れられて嬉しい』とタイ人のお客さんにすごく喜ばれます」
タイ人にも健康的で心豊かなティーライフを
ナームさんは金継ぎした器を手に取り、「不完全な美を愛でる日本の文化が大好きです」と微笑む。
「自分で茶葉を選び、淹れ、味わうといった体験を通じて、タイ人にも禅思想が息づく和の哲学や美学にふれてほしくて。その延長線上で、お客さまの人生が少しでも健康で心豊かなものになるお手伝いができたら嬉しいです。私も知識をアップデートするべく、日々勉強や稽古に励んでいます」
ナームさんが和カフェで目指すのは、日本茶ファンにとって心の拠り所になる空間作り。さらなる2店舗目の出店を見据えた彼女の挑戦は、今後も続く。