約1200年の歴史が伝わる天台宗の寺、岡山県浅口市鴨方町の円珠院には「人魚のミイラ」が眠っています。2022年2月、倉敷芸術科学大学を中心とする研究チームが、このミイラを科学的に分析するプロジェクトがスタートしました。
「人魚のミイラ」を守り継いできた歴史や、今回の研究で期待することを、円珠院の34世住職・柆田宏善(くいだこうぜん)さんに聞きました。
代々受け継がれてきた「人魚のミイラ」
「人魚のミイラ」は一般公開していませんが、今回、特別に見せていただきました。
体長は約30cm。頭の部分は、目のくぼみ、鼻の穴、尖った歯、毛髪や眉毛らしきものがあります。指先には爪。
胸の部分から下は鱗に覆われ、Jの字になった尾びれが魚のようです。上半身が人間、下半身が魚といい伝えられる空想上の生き物、人魚の形をしています。
日本各地に「人魚」と伝わるミイラが存在するそうですが、その中でも保存状態がいいとのことです。
箱に入れて大切に保管されており、添えられた紙には「人魚干物 壱箱」とあります。江戸時代の土佐(高知県沖)で魚の網にかかり、大阪で販売されていたものを備後福山の小島家が購入した旨が書かれていました。
福山を出所とする30世の住職から、5代にわたりミイラを守り継いできた円珠院。柆田さんによると、古くから檀家の人が見に訪れていたそうです。「人魚を食べると不老長寿をもたらす」といういわれから、剥がれ落ちた鱗などを口に入れて、長生きを願う人も。代々、ありがたい存在として、大切に守ってきました。
昭和50年代前半、柆田さんが県外の高校に通っていた頃、新聞やテレビに取り上げられ、話題になったことがあります。その頃は、ミイラを透明のケースに入れて本堂近くで公開し、誰でも見たり写真を撮ったりできる状態にしていたそうです。信仰心と珍しいもの見たさで多くの人が訪れたといいます。
その後、ブームが落ち着き一般公開はなくなりましたが、『現行全国妖怪辞典』を出版した里庄町出身の博物学者・佐藤清明さんの遺品のネガフィルムの中から円珠院の「人魚のミイラ」が見つかったことがきっかけで、2020年6月頃から再びメディアに取り上げられるようになりました。
人魚が本物でなくても、人々の信仰は本物
研究チームの4月の中間報告によると、ミイラから抜け落ちた体毛に哺乳類と同じようにキューティクルがあること、魚類の特徴である鱗が確認されました。最終報告は9月の予定です。
「人魚のミイラ」は全国各地に存在し、江戸時代には作り物の「人魚」が流行り輸出されていたという記録もあるとのこと。今回の研究で、本物の人魚ではなく作り物だった、という結果が出ないとは限りません。
空想上の生き物である「人魚のミイラ」を科学の力で解明することについては、「詳しく調べずに謎のままにしておいた方が、浪漫があっていいのではないか」という意見もあります。
今回の研究の申し出を、柆田さんが了承したのはどういった思いからなのでしょうか。
「本物の人魚ではなく作り物だと明らかになっても、これまでこの人魚の『おかげ』を信じ、不老長寿や無病息災を願う人々がいた歴史そのものは変わりません。仏様などご神体も、木や石、鉄でできています。そこに人々の念が入り、『おかげ』に結びつくわけです。作り物かどうかは信仰には関係ないのです」
柆田さんが今回の研究で期待していることは、ミイラの保存状態が明らかになることだといいます。保存状態のいいミイラではあるものの、経年の傷みが気になっていました。
長く後世に守り継ぎたいという思いから、「研究に協力することで、目には見えない中身の状態が明らかになるなら協力したい」と思ったといいます。
虫やカビを予防するために、市販の防虫剤・除湿剤を入れる、綿の上に紙を敷くなどして大切に保存してきましたが、今回、見えていなかった傷みが見つかりました。「防虫剤・除湿剤の定期的な交換を徹底するなどして、大切に保存していきたい」ということです。
7月からは倉敷市立自然史博物館でこの「人魚のミイラ」が一般公開される予定となっており、注目が集まっています。