インド北部のビハール州で、貧しい子どもたちにサッカーを教える日本人がいる。萩原望さんはトヨタ自動車を辞め、京都にある国際NGOに転職。そして赴任先のインドで、自身が19年間続けてきたサッカーを子どもたちに教えている。本業の傍ら、すべてボランティアで活動する萩原さんに、話を聞いた。
恵まれた職場を離れた理由
「トヨタでは職場環境にも人にも恵まれ、とても充実していました」と語る萩原さん。会社を辞めるきっかけとなったのは、学生時代から続けていた難民支援の募金だった。
「毎月届くニュースレターで、世界には国を追われたり、家族と離れて生活しなければいけなかったりする人がいることを知りました。トヨタでの仕事には満足していたけれど、彼らのような『今日明日を懸命に生きる人と、直接関わる仕事がしたい』という気持ちが次第に強くなっていったんです」
そして仕事を辞め、アメリカの難民支援NGOでインターンシップをした後に、現在のNGOに転職した。
2021年3月、インドに赴任。はじめてインドに降り立った萩原さんは、北部のビハール州と首都ニューデリーを比べて「日本の中に東京とアフリカがあるみたい」と表現するほど、格差を色濃く感じたという。
「ビハールでは粗末なワラ小屋に住む人が多く、識字率も低く、性差別も根強い。特に女子は10代で親が決めた相手と結婚させられる児童婚も多く、自由に外を出歩くことも少ないんです」
そんな環境のビハールで、萩原さんは農村開発事業に携わっている。そして余暇の時間でサッカーをしていると、次第に子どもたちが集まって一緒にサッカーをするようになっていった。
サッカーが子どもたちの居場所に
赴任から2か月後、サッカーチーム「FC Nono」を結成。Nonoは萩原さんの愛称だ。萩原さんは本業以外の時間すべてをサッカーの活動に当てている。参加する子どもは次第に増えていき、現在は約100人のメンバーがいる。意外な成果は、女子もサッカーに参加していることだ。
「最初は男子から始まり、徐々に人数が増えて、次第に女子も参加するようになっていきました。サッカーが子どもたちの居場所になっています。ジェンダー差別の根強い地域で、公園で男女がサッカーをしている光景が当たり前になりつつあるのがうれしいですね」
さらにサッカーの活動は広がりを見せる。刑務所から依頼され更生の一環でサッカーを教えたり、精神障害者施設や孤児院でサッカー教室を行ったりしている。
「スポーツは子どもの自信や健やかな成長を育むツールになります。実際、サッカーを通して、子どもたちに思いやりの心や他人を尊敬する気持ちが育っていることを感じます。スポーツの持つ力は大きく、国際協力でも取り入れられているんですよ」
さらに萩原さんは、サッカー教室に通う子どもの栄養管理も始めた。年齢の割に身体が小さく、痩せている子どもが多いことが気になったからだ。この地域では、6人家族でも1日約300ルピー(約500円)で生活する家庭もあり、1日2食だけ、米と塩だけ、といった食事環境の子どもも多い。
「まず子どもたちが、普段どんな食事をしているのか記録することから始めました。するとタンパク質が足りていないことがわかった。子どもたちに栄養の教育も行い、栄養失調の改善につなげていきたいと思っています」
「努力が報われる社会」を目指して
萩原さんの収入は、日本で働いていたときの約3分の1。それでもまったく気にならないという。
「1日500円で生活しているような人々を見ると、お金とは、生きるとはなんだろうと考えずにはいられません」
萩原さんは学生時代、同じ学校の生徒が暴行されているところに遭遇し、助けに入って自分も殴られた経験がある。
「困っている人を、見て見ぬふりはできないんです。僕はビハールに来て、インドの人々のリアルな生活を知ってしまった。だから自分にできることをやりたいんです」
毎晩、子どもたちの夢が叶ったシーンを想像するという。誰かの役に立つことが萩原さんの喜びだ。仕事の赴任先としてたまたまやって来たインドだが、今後もビハールに残り、長期的に活動を続けていく予定だ。
「今後は、子どもたちにサッカーや栄養のことを教えるだけではなく、親の雇用創出をする事業も考えています。そもそも親に仕事がないと、貧困の連鎖は断ち切れないですからね」
目標は、インドの国内大会に出場すること、そしてゆくゆくは日本に遠征することだ。
「生まれた家庭や社会環境で、子どもたちに物事を諦めてほしくない。努力が報われる社会の実現を目指して今後も活動していきます」