愛知県名古屋市に位置する徳林寺は、ちょっと変わったお寺だ。住職の高岡秀暢さんはネパールに10年住んだ経験があり、境内の真ん中にはネパールやチベットの旗「タルチョ」が飾られている。
また、徳林寺は以前から外国人や生活に困った人を受け入れてきた。そして、世界中で新型コロナウイルスが猛威を奮ったとき、自国に帰国できなくなったベトナム人を大勢受け入れたことで知られている。高岡さんに、その活動の源泉を聞いた。
ネパールでの経験と仏教
多文化の色合いが強い徳林寺だが、その素地は先代の頃からあった。
「先代はクリスチャンでも墓に入れるようにしたんです。社会の平和のためにも、宗教で差別してはならないという考えだったんでしょうね」
しかし、当時25歳だった高岡さんは、社会への不安や疑問を感じ「寺は継がない」と言ってネパールへ。ところが、ネパールで仏教の先生について学んだり、本を読んだりしていくうちに仏教への理解が深まっていく。結局、ネパールで仏教文化の保全活動などを行い、気づけば10年が経っていた。
「仏教とは、布教のために時代や人に合わせて柔軟に変わっていくものなんです。仏教の心を伝える方法は一つではなく、寺や住職の個性によって変わっていいもの。だから、日本では仏教と神道は相互に影響を与えながら進化してきましたよね。私はネパールと縁があったので、私なりの方法でやっているだけなんです」
帰国後、徳林寺を継いだ高岡さんは、自身のやり方で寺の運営を行い、タルチョを飾ったり、様々なイベントを行ったりしている。
外国人や生活困窮者の受け入れ
徳林寺が外国人を受け入れ始めたきっかけは、ある団体から「海外の研修生を受け入れたいので、泊まらせてくれないか」と相談を受け、1年間受け入れたのが始まりだった。そのうちに、生活に困った人も徳林寺を訪れるようになり、それがあるとき「駆け込み寺」として新聞に取り上げられた。
「私は支援などといったつもりはなく、ただ『部屋が空いているからどうぞ』というだけでやっていたんですけどね」
そんな徳林寺の存在は次第に知られるようになり、2008年頃、クリスチャンの神父から「これからは難民を収容する施設が必要になるでしょう」という話があり、宿坊を作る計画が立ち上がった。そして約2年かけて宿坊が完成。ここに海外から来た難民や生活に困った人が暮らし、共同生活を営むようになった。
そして2020年、もともと知り合いだったベトナム人協会の人から「コロナで帰国できなくなったベトナム人が大勢いるので、泊まらせてくれないか」と相談を受け、ベトナム人の受け入れが始まった。
「人を助けると、必ず自分も助けられる」
徳林寺は2020年4月からベトナム人を受け入れ始め、最後の一人が2022年1月に帰国した。受け入れた人数は総勢180人にのぼる。
受け入れた人には住む場所と食料を提供し、多いときは一度に50人が共同生活をした。
「最初は寺の貯蓄を使っていたんですが、次第に寄付がたくさん集まるようになって。お金だけではなく、食料の寄付や手伝いに来てくれる人もいました。毎週のように野菜を持ってきてくれたブラジルの方もいましたよ」
大勢が一緒に暮らす共同生活には、ルールがあった。
「菜食、禁酒、賭博の禁止です。多くの人が一緒に暮らすので、いろいろな問題もありました。しかし、このルールがあることで『ここで悪いことはできない』という一種の緊張感が生まれたのでしょう。次第に寺のことを手伝ってくれる人も現れました。コンクリートを打って、寺のスロープを作ってくれたこともあります」
高岡さんは「人生を振り返るとね、私は本当に人から助けられてやってこられたようなものですよ」と朗らかに笑う。
「人を助けているとね、だいたい自分も助けられるんです。自分だけが助けているなんてことはなくて、その人から文化や生き方などいろんなことが学べる。みんな自分がかわいいから、つい守ろうとすることが多いけれど、それは自分が助けられない方向に向かっているのかもしれません。怖がらずに人を助けると、知らないうちに自分はこんなにも周りから助けられていたのか、とわかりますよ」
毎年4月に開催している花祭りは、お釈迦様の生誕を祝うもの。しかし、始めた動機は「みんなが楽しめる場を作りたかった」からだそう。徳林寺に集まった人々の笑顔と穏やかな空気は、高岡さんの存在があってこそだと感じた。
「日本の仏教は葬式や法要をやっているだけでは、苦しくなるでしょう。多文化や平和、貧困などはみんなが抱えている問題。そういう社会にあるテーマに対して、お寺としてできることをやる。仏教の教え『仏法僧』の『僧』はお坊さんのことではなく、集団やコミュニティのこと。人間はコミュニティのなかで生きているから、みんなで一緒に助け合っていくことが大切です」