アラスカに魅せられ、大自然とそこに生きる動物や人々の暮らしを撮影した写真家・星野道夫さん。1996年に亡くなった後も、写真・文章など残した作品が、今なお多くの人たちに愛されています。2021年9月にはアラスカ州政府より、その功績が表彰され、アラスカの新聞でも取り上げられました。その作品を受け継ぎ、発信をし続けているのが、星野直子さんです。
直子さんは、1993年に星野道夫さんと結婚。道夫さんが亡くなった後、星野道夫事務所の代表として活動。現在はアラスカと日本を行き来しながら、作品を管理しています。
星野道夫さんの傍で、共に過ごしたアラスカの景色
道夫さんはアラスカで暮らしながら「自然と人の関わり」を追い続け、大自然とそこに生きる動物や人々の暮らしを撮影しました。時代と共に変わるアラスカを写真と文章で記録し、作品は数多くの国内誌や「ナショナルジオグラフィック」などの海外誌にも発表されました。しかし1996年、テレビ番組取材の同行中、ロシア・カムチャツカ半島クリル湖にてヒグマに襲われ、急逝しました。
没後も、著作の一部は英語・韓国語・中国語にも翻訳され、国内では学校の教科書に作品が掲載されています。こうした活動の中心となっているのが、星野道夫事務所。代表の星野直子さんが、道夫さんの作品を守り、伝え続けています。
直子さんは、出会いから道夫さんが急逝するまでの約4年8か月の間、アラスカでの旅に同行し、感動と発見を繰り返していました。
「撮影時には集中しているので声をかけることもためらわれ、少し離れてそっと見守っていたのですが、撮影がひと段落すると『見てみる?』と、ファインダーをのぞかせてもらったことが何度もありました。『いいでしょう?』と言って見せてくれた時の笑顔が思いだされます。自分がフィールドで見てきた光景や体験してきたことを、伝えたい・共有したいという気持ちが強かったと思います。その思いが、見る側の私たちにも伝わってくるのだと思います」
本人の作品を“そのまま届ける”
「結婚する前に、仕事に対する思いについての手紙をもらったことがありました。そこには、『自分の写真や文章を見てくれた人を励ますことができたら』ということが書いてありました。本人も本や映画、音楽などに励まされた経験があったので、自分の作品を見た人が少しでも元気になれば、といった内容の手紙でした」
そのことが直子さんの頭の中にずっと残っていました。
「作品を残していかなければ」という無我夢中な思いでこれまで過ごしてきた直子さん。「本人の声をそのまま届けるスタンス」を大切にしながら、今に『星野道夫の写真と文章』を伝えています。
「本人の作品を“そのまま届ける”ことで、1人でもいいので、その方の心に寄り添えるようなものを届けられたらいいなという気持ちで、ずっと続けてきました。本人が亡くなった後も、会場で声をかけていただいたり、お手紙をもらったりしたことがありましたが、皆さんが作品に出会ったことで励まされたことや前に進む力になったこと、大切なことに気づいたことなど、いろんな言葉をいただいて、伝えるという仕事を続けてこられて本当によかったな、と思っています」
『1人のひと』に寄り添えるようなものになれば
道夫さんの作品は、写真展や再編集され出版される新刊、写真から生まれた絵本などで今も見ることができます。そこには編集者やデザイナー、写真展開催者など、直子さんと共に「伝えよう」という数多くの人たちがいます。
直子さんはこれまでの活動を振り返り「作品に関わって下さる沢山の人たちがいなかったら、そして作品を守り続けていく活動を支えてくれる、事務所のスタッフの協力と支えがなかったら、今まで続けてくることはできませんでした」と多くの人たちに感謝の気持ちを抱いています。
また、協力者は国内に限りません。道夫さんの友人であるボブ・サムさんが発案者となり、道夫さんの功績について顕彰することがアラスカ州に提案され、議会を通過し、2021年9月にアラスカ州政府から表彰を受けたのです。
直子さんは、アラスカと日本とを行き来しながら、残されたものを大切に守っていきたいという信念を持って「伝える」仕事を続けています。
「『1人のひと』に寄り添えるようなものになればと思い、ずっと続けてきました。人はそれぞれ写真や文章への向き合い方は違うし、同じ人でも、その時の心持ちや置かれている状況で、受け止めるメッセージも変わってくると思います。『これを見てください、感じてください』というよりも、それぞれに、その時々に感じたことを受け取ってもらえたら嬉しいな、という気持ちでいます」
現在も、星野道夫さんの写真展「悠久の時を旅する」が、3月27日まで神奈川県立地球市民かながわプラザ(あーすぷらざ)で開かれています。4月には東海地方、7月に北陸地方、11月に関東地方を巡回し、今後数年かけて全国で開かれる予定です。