母の病を機に9歳でヤングケアラーに 今は日々の介護を「笑い」に変えて発信

母の病を機に9歳でヤングケアラーに 今は日々の介護を「笑い」に変えて発信
ラフィングケアラー 冠野真弓さん

自らをラフィング(笑っている)ケアラーと呼んでいる、岡山県在住の看護師・冠野真弓さん。日々の家族の世話のことを「笑い話」として発信することで、介護に苦しむ人たちの心の支えになろうと活動しています。
自身も9歳からヤングケアラーになり、父・母・姉の3人のケアが今も続いている冠野さん。明るい情報発信の裏にどんな思いを込めているのか、取材しました。

つらい話を「笑い話」に

冠野さんは、同じ境遇の仲間とともに立ち上げた任意団体「K&」として月に2回、インスタグラムでライブ配信をしています。7月に行った第13回目のテーマは「ケアラーのすべらない話」。テレビの人気コーナーを模して、冠野さんを含めた出演者全員が、自らの日々の介護のなかで起きた出来事を「面白い話」として語っていました。

「日々の介護って、すべらない話がたくさんあるんですよ。それをイラっとするか、『また一つネタができた』と思えるかどうかでは、全く自分の心持ちが違うんですよね。しかもそれを一緒に笑ってくれる人がいるってすごくハッピーじゃないですか」

ケアの大変なところを、あえて明るい話として自ら率先して発信していくことで、介護のことを1人で抱えている人たちに「大丈夫」というメッセージや「安心」を届けようとしているのです。

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きっかけは母の病気

冠野さんが9歳の時、それまで健康だった母親が統合失調症になり、ヤングケアラーとしての日々が始まります。その後、元々体の弱かった父親がうつ病を患い、さらに姉も精神的に不安定になるなど、家族3人のケアが、冠野さんのもとに押し寄せてきました。

発症当時、母親は自分のことを、娘とすら認識できなくなっていたといいます。そんな状況でケアを続ける中、母親がもう1度子どもと認識してくれた瞬間が、大きな転機になったといいます。

「1回失った親の愛情がもう1回戻ってきた瞬間が、たまらなく嬉しかったんです。周りの友達にとっては当たり前のことが、すごく幸せに感じた瞬間でした」

こうした経験から、幸せとは「ない」にフォーカスするのではなく、「ある」に気づくことだという「勝手にハッピー思考」を、冠野さんは身に付けていきました。

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その後、薬では簡単に治らない精神面のケアと長く向き合ってきたことから、病気と付き合いながら患者をそばで助ける看護師を目指すようになりました。そして大学は看護学科に進み、そこで出会った仲間たちに少しずつ悩みを打ち明けるようになってから、徐々に人に話せるようになっていったといいます。

「いろんな人に話していくっていうことを何度も何度も重ねていって、『何とかなる』っていう根拠のない自信を周りの人に与えていってもらったから、いま何かあったとしても『何とかなる』って笑っていられるんです」

ラフィングケアラーを増やしたい

冠野さんは元ヤングケアラーであり、今も現役のケアラーです。母の統合失調症は治っておらず、父は数年前から新たに神経難病に。姉は大人になって発達障害などと診断されました。看護師として働きながら家族3人のケアは続いており、いつも笑顔でいられるわけではありません。

「インスタで、『かんちゃんのようになかなか笑えません』とか『ラフィングケアラーの道のりは遠いです』とメッセージをいただくんですけど、私も常時笑っているわけじゃないので。どの感情も持っていて良くて、最終的に振り返って笑うみたいな感じです」

笑うことの難しさも、誰よりも分かっている冠野さん。それでも、ケアラーが全員「ラフィングケアラー」になれるように、活動を続けていく決意です。インスタライブの他、講演会や勉強会にも積極的に参加しています。

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「誰にも話せなくて家のことをひとりで抱えている方、家のことを話してみたけれど、『その話はちょっと聞きたくない』と言われてしまった方、そして毎日祈るような思いで生きていらっしゃる方、私も誰にも話せなくて、未来のことをとても考えられない、そんな時代がありました。でも今私は、自分が想像もしていなかった未来に立っています。あなたが自分の未来を信じられなかったとしても、私があなたの笑っている未来を信じていようと思います。一緒に、にもかかわらず、笑いましょう!」
(11月17日に開催されたイベント「おかやま100人カイギ」より)

冠野さんとK&は、将来ラフィングケアラーを育てる学校を設立するのが目標です。

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