「元々、日本語には全く興味がなかったんです」そう笑顔で話すのは、ラオスのサワンナケート大学言語学部日本語学科で日本語を教えているダオミーポーン先生(愛称ミー先生)。ミー先生が日本語の教員になった経緯や、授業の様子などを聞いた。
ラオスってどんな国?
2020年、日本と外交関係が樹立され65周年を迎えたラオス人民民主共和国。
東南アジアの内陸に位置するラオスは、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、そして中国の5つの国と国境を接している。
ヨーロッパ文化と仏教寺院が融合した街並みを楽しむことができる首都ビエンチャン、ユネスコの世界遺産に登録されている古都ルアンパバーン等、多くの見所がある。
ミー先生と日本語の出会い
そんなラオスにいるミー先生が日本語と出会ったきっかけは何だったのだろうか。
「話すのは恥ずかしいですが、大学受験の時に様々な学科を受験し唯一合格したのが日本語学科だったんです」
ミー先生は、首都ビエンチャンにあるラオス国立大学文学部日本語学科で日本語を勉強し、夜は専門学校でビジネスや会計を学んだ。
大学卒業後、ビエンチャンのホテルで数か月ほど秘書をしていたが、両親から地元サワンナケートに戻ってきてほしいと懇願され、サワンナケート大学の学長秘書として数年間勤務することになる。
サワンナケート大学は、ラオスで4番目の国立総合大学として2009年に設立され、言語学部の英語学科およびフランス語学科の学生を対象に、第二外国語として日本語コースを実施してきたが、2017年に日本語学科が開設された。
ミー先生は、日本語力を活かし、2年間ボランティア(無償)教師として働いた。
「最初、『自分には日本語は教えられない』と思っていました。自分の日本語力が低かったから、教える自信がなくて。でも実際に教えてみたら、『楽しい!自分に合っているかも』と思うようになり、今は好きでこの仕事を続けています。今はボランティアではないのでお給料はちゃんともらっていますよ」と冗談交じりに話す。
ミー先生の祖父は高校の教師。“祖父と同じように教師になってほしい”という母の願いを叶え、毎日元気に笑顔で働いている。
日本での体験が貴重な経験に
ミー先生は、2016年9月から半年間、国際交流基金日本語国際センター(埼玉県・北浦和)にて行われた「海外日本語教師長期研修」に参加。日本語教師3年目のときだった。
「日本に行く前は味噌汁が大嫌いでしたが、食堂で毎日飲んでいるうちに、とても好きになりました。日本の食べ物は全部美味しくて大好きですが、そのなかでも焼肉はお気に入りです」
インターネットの情報からでは得られない日本の生活を実際に体験できたことや、日常的に日本語に触れられたことは大変貴重な経験だった。また、33か国から参加者が集まっていたので、様々な国の文化を知ることができたという。
授業はみんなで作り上げる雰囲気
現在サワンナケート大学の日本語学科で学ぶ学生は、全学年あわせて88名。秋に日本語学科初の卒業生を送り出す。
日本のアニメやマンガがきっかけで日本語学科に入学する学生が多く、日本に行った先輩からの話を聞いて、「いつか自分も」と憧れる学生も少なくない。
また、2020年の入学試験では、言語学部5学科の中で日本語学科は、英語学科に次いで2番目に希望者が多かったそうだ。
授業は、学科主任のミー先生をはじめ、他ラオス人教師2名、JICAボランティア1名で行われ、教員一人あたり週10コマ(1コマ90分)と多忙だが、職員室内は和気あいあいとした中で様々な意見を出し合いながら、みんなで授業を作り上げる雰囲気。ミー先生が秘書時代に培った能力を活かし効率的に仕事をこなす姿は、同僚にも良い影響を与えているようだ。
コロナの影響で今はすべてオンラインで授業。1学年約20名の中で自分のパソコンを持っている学生は3~4名。1台に数人が集まって授業を受講したり、スマートフォンで受講する学生もいるという。また、宿題やレポート提出の際はパソコンを友達に借りるか、店にお金を支払って借りている。
日本語を使用できる環境を
「今はとにかく日本語を話すことが大好き。同僚の日本人とよく日本語で話すし、“間違っても大丈夫、相手が理解できるならOK!”というスタンスです。学生は恥ずかしさや日本語能力の自信の無さから、積極的に日本語を話しません。サワンナケートは経済特区を設置しており、日系企業も数社あります。それらの企業を就職先として希望する学生も少なくないので、彼らの日本語能力向上のためにもっと日本語を使用できる環境を作りたいです。授業も毎年内容を見直しながら、より学生の発話を促し、魅力あるものを提供しなければなりませんね」と意気込む。
現在子育てをしながら、日本語学科の中心的な役割を担うミー先生。自身の夢は日本で修士課程に進学することだと話してくれた。