八百屋5代目はなぜ、ランウェイを歩くのか? モデルと八百屋のパラレルな働き方が尖り続けたい生き方の答え

八百屋5代目はなぜ、ランウェイを歩くのか? モデルと八百屋のパラレルな働き方が尖り続けたい生き方の答え
香川県観音寺市有明町 原田商店5代目

原田維秀(ゆきひで)さんは、香川県内外で注目を集める青果店5代目。
実家である原田商店は100年以上の歴史を持ち、観音寺市有明町、財田川が瀬戸内海に流れ込む河口付近にある。
2020年1月、東京から故郷である有明町に帰ってきた。ほどなくして新型コロナウイルス感染拡大を迎えたが、維秀さんはひるまず自身のアイデアを実現していく。ドライブスルー販売、果物のおいしさを伝えるフルーツスタンド、野菜の通信販売に手紙を添える取り組みが、様々な媒体で取り上げられた。

182cmで世界のランウェイを目指す

忙しく働く母のもと、自由にのびのびと育った維秀さん。就職に有利と言われ、地元の高等専門学校に進んだが、やりたいことは何もなかった。違うクラスの体育の授業に、4時間連続出たこともある。制服を着ずに好き放題に過ごし、赤点ギリギリ。3年で卒業し、興味の持てない物理や電気の授業から脱出して、好きだったファッションの世界に行きたいと、東京の服飾専門学校、文化服装学院に進む。それでも、なんとなくの東京行きだったという。

専門学校に進み、学校の先輩が所属していたモデル事務所から声がかかったことがきっかけで始めた、アルバイトでのモデルの仕事。アルマーニに身を包み、ミラノコレクションでランウェイを歩いたのはそれから1年半後、21歳のことだった。誰も教えてくれないし、聞けもしない。自分を磨き続けた結果をデザイナーが気に入るかどうか、ただそれだけ。答えのないモデルの仕事に夢中になった。順調だったわけではない。パリ、ミラノ、ロンドン、現地のモデル事務所で何度も帰れと手で払われた。英語が喋れなくても、背が低くても、お金がなくても、あきらめる気は全くなかった。どうやって高みに上り詰めるか、自分と向き合い続ける日々。そんな中で、考えることがあった。

2017年…パリで撮影
2017年…パリで撮影

「男性トップモデルの年収は、当時1億5000万円ほど、女性モデルだと、50億から60億。男性と女性で市場規模はまるで違う。それに、自分のかっこいいを極めるために必死、目先の生活に必死。今がすべての生活では、生きていくのに、自分自身のこと、大事なことを振り返る時間がない」

好きなモデルの仕事はやめずに、拠点を東京から観音寺市に移したのは、そんな思いからだった。

モデルと八百屋の共通点

原田商店は、維秀さんの母である4代目恵美子さんが、大型店舗ではできないきめ細かな顧客対応で盛り立ててきた。帰省している間、家業を手伝うようになった維秀さんは、ある時、客が母親を目当てに店に来ていることに気付いた。

「そうか、野菜や果物よりも人なんだな、じゃあ、店を継ぐなら、俺は俺のお客さんを作らなきゃ」

ファンづくりに意識がフォーカスされた。

原田商店
原田商店

言葉を発さずにデザイナーの心を捉えるモデルの仕事と、人の心を捉える八百屋になることは同じだと感じたという。

維秀さんは、モデルの経験の中で確信したことがある。

モデル事務所に申告せずに髪型を坊主頭に変えたことがあった。宣材写真とイメージが違うと、トラブルの素になるため、モデル事務所からはひどく叱られたが、結果、個性が際立ち、望んだ仕事がくるようになった。

自問自答して出した答え。人の気持ちを捉えるには、それしかないと確信した。
それは、何をするにも同じ。モデルでも八百屋でも。

俺でなければできない仕事

故郷に帰ってすぐにスタートしたフルーツスタンド。自分で仕入れた高級フルーツをふんだんに盛り付ける。ソースも自家製、金曜にはプリンアラモードの為のプリンも作る。原田商店には若い客も多く、インスタグラムの写真を撮るために、維秀さんを訪ねて来る人も多いそう。
「ぶどうとブルーベリーはどっちが好き?アレルギーはない?俺に任せてみる?」原田商店の前には、ひっきりなしに車が止まる。

店頭
店頭
パフェ
パフェ

県外の客に人気なのが通信販売。その売り方にも自分流がある。

「ネットで『ポチ』一つで会話もなく売ることはしない。家族数や、好み、希望をよく聞いてから予算に合わせてコーディネートする。食べ方は直筆で書きます」

発送
発送
手紙
手紙

型にはめられた生き方は、絶対にしない

7月の連休には、5年間10シーズン、モデルを務める東京の呉服店が原田商店で販売会をする。維秀さんは着物姿で店頭に立つ。

「神田の老舗呉服店がメンズの着物を八百屋で売る。1枚も売れないかもしれない、だけど、そこがいい。だからやりたい」と話す。

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平日は、午前5時に店を開けて、午前6時半に地元の市場へむかう維秀さん。休みなく働く日々の中、どんどん明確に見えてくるイメージがある。

「熱量を伝える八百屋でありたい。究極の目標は、自分で育てた野菜を自分で売ること。そして、モデル業は、声のかかるうちは、続けたい。年をとってはやれないけれど、“世界でただ一人の俺”を表現できる仕事は、性分に合っている。やれるところまで兼業で。モットーは変わらず。しないで後悔するより、して後悔」

心の内から湧き上がる欲求が一念となって、注目を浴び続ける生き様を貫く。
今までそうしてきたし、これからもそうしていく。維秀さんは、そう答えを出している。

最後
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