「この世にアートがあって救われた」変わり者と言われた少年は美術教師を経て芸術家に

「この世にアートがあって救われた」変わり者と言われた少年は美術教師を経て芸術家に
黄色い立体造形は藤原さん自身。もうひとりの自分が天井から俯瞰して見ています。

廃校を活用した展覧会で、ひときわ個性を放つ藤原慎治さんの作品。藤原さんの作品が展示されているボイラー室には、枯葉を敷き詰めたなかに数羽のニワトリが餌を食べています。「これが、アート??」戸惑う筆者に藤原さんは作品について丁寧に説明してくれました。

「食」をテーマに、自身への実験でもあるアート。

作品のテーマは「食」。出展を呼びかけられ、現場を視察したときにボイラー室を見て、「ここなら自分なりの作品が作れるかもしれない」と感じたそう。

そこで、以前から関心のあった「食」をテーマに作品づくりを始めました。

卵を孵化させる機械を購入し、自宅に鶏小屋を建て、有精卵を仕入れたといいます。なんと、ここにいるニワトリは藤原さんが卵からひよこにかえして育てたニワトリだったのです。

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「餌には自宅で出る野菜の切れ端などをあげて、産んでくれた卵は自家消費し、鶏の糞は畑に持って行って肥料に。そんなサイクルを想定しつつ、ニワトリのなかに自分の暮らしが入って行く。そして、この先私はこの鶏を食べるのだろうか……という実験的要素のある作品です」と藤原さんは話してくれました。

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さて、皆さんはここまで読んで何を感じますか? 食物連鎖、サスティナブル、命をいただくということ……。いろんな答えが出てきそうです。

「それでいいんですよ」と藤原さん。「アートの仕事は、新しい価値や考え方を提案することなんです」と。

見て、感じて、考える。

個々のフィルターを通して見る世界はいくつあってもいい。そして“何かに気づくきっかけ”になれば、それでいいのだと話してくれました。

そう話す藤原さんの創作の原点が気になって、どういう少年時代を過ごしてきたのか聞いてみることにしました。

折り紙が好きで、周りから変わった男子と思われていた。

「ちょっと変わった子どもでしたね。虫が好き。生き物が好き。折り紙やプラモデルも好きという少年。とくに折り紙が好きで、暇さえあれば折り紙していました。親に折り紙の本を買ってとせがむような子どもだったんです。高校のときに自由に入れるクラブ活動があって、折り紙クラブがあったので入ったんですが、周囲は女子ばかり(笑)。周囲には変わった子と思われていました」

物心ついた頃から、折り紙やプラモデルなど手を動かして何かを作っていたという藤原さん。その情熱に身をまかせるうち、芸術大学へ進学。造形を専攻します。そして卒業後は中学の美術教師に。教員になっても創作意欲は衰えることなく、年1回夏休みを利用して大阪で個展を開いていたそう。

「個展のために、毎年夏休み最後の一週間を抑え、そのために作品を作るという生活でした。教員と創作活動の両立は、かれこれ20年くらいになりますかね」

忙しかった時代を経て、1年前に早期退職。今は自分の時間を堪能している最中なのだとか。

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食への関心が高まったのは農業を始めた1年ほど前から。

「今は農業に夢中です。仲間たちと東かがわの五名に棚田を借りて米作りをしたり、山に入って、ユキモチソウを見たり、薪を取ったり、たらの芽を取ったりして。小屋のいろりやタンドリー釜で料理をするのも楽しい時間です。仲間のなかに山遊びの達人や農業・畜産のプロがいて、メンバーからいろいろ刺激を受けていますね」

なるほど、今回の「食」をテーマにした作品は、農業や山遊びがルーツにあったのです。

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何のために作るのか、何のためのアートか。

体験の中からテーマを生み出し、具現化して、見る人に訴えかける藤原さんの作品。最後に、創作する藤原さんにとってアートとは何なのか聞いてみました。

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「若い頃からよく“何のために作品を作るのか”という質問を受けてきました。でも、なかなか答えが見つけられずに、悩みながら創作と向き合ってきました。でも、今この歳になって思うのは、アートが世の中にあってよかったということ。僕は勉強ができるわけじゃないし、運動ができるわけじゃない。人とのコミュニケーションが得意なわけでもない。だけどね。アートがあって救われたんです。折り紙ばかりしていた子どもがものづくりに魅せられて芸大に進学し、美術教師になり、結婚して子どもも出来た。そして、今も好きなものづくりができている。だからアートに感謝しているんです」

折り紙少年だった藤原さんは、好きを貫くことで自分の道を切り拓いたのです。

「これから先も、アートと関わっていけたら幸せです」

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