「(あくまで)餃子が食える空間みたいな。餃子屋ではないんですね」
こう断言するのは、岡山市北区表町でその名もずばり「餃子世界」を営む守屋直記さん。大手アパレル企業を脱サラ後、もともとはスナックだった物件を改装して、コアなファンから支持を集める人気店へと育て上げた30歳の若き「界長」です。
かつての名残を残す店内には、本人が「にせものの中国っぽさ」を狙ったと形容する雑貨や装飾品がそこかしこに。過去に数多くのDJイベントを手がけてきた守屋さんらしく、テクノやハウスといった音楽が空間を満たします。
「餃子を食いに来る人もおれば、音楽聴きに来る人もおれば、新しいきっかけをつかみに来る人もおるみたいな感じで。いろんな軸があって」
時代の変化に揉まれてきた既存の資産を、クリエイティブな感覚で「ちょっといじる」ことによって取っ掛かりをつくり、単なる餃子屋には留まらない存在感を示す餃子世界。その経営感覚から見えてきたのは、餃子という「共通言語」を介して街に一石を投じたいという「裏テーマ」でした。
緻密な計算をもとに築き上げられた「裏ンダ通り」
大学で景観デザインを専攻し、宿場町の再生に関する研究に取り組んだ経験から、街づくりに強い関心を寄せるようになったという守屋さん。就職先のアパレル企業では芸術イベントなどの運営を通して、マーケティングの視点を養ったといいます。
そんななかでも刺激になったのが、「岡山芸術交流」と題された現代アートの祭典。岡山の中心部に配された世界の一流アーティストの作品に、何気ない街の日常との「うねり」を感じると同時に、会社の資本力に頼らずとも「自分でもできるのでは」という実感を持つに至りました。
「自分でもそういうアートパビリオンみたいなのつくれるんじゃないかと思って。それを一発目につくったのが餃子世界なんで。飲食の商売っていうよりは、街をどうやってブランディングするかみたいなところ、すごい興味があって」
「イベントって終わったら人来ないんですよ。『これじゃダメやな』と思って、ちゃんとした点をつくっていこうっていうので」
自らの表現の場をつくり、街を活気づかせるにあたって重視したのは、そこでできる体験でした。人が集い、つながり、音楽を聴いたり、将来について語り合ったり――そういった目的さえ果たされれば、必ずしも飲食店である必要はなかったそうですが、最終的に餃子へと行き着いた背景にはれっきとした戦略が。
「メシ屋だったら『1回行ってみよ』ってなるんです。衣も食も住もあるっすけど、食のところ、一番ハードル低いんで。食いっぱぐれなさで俺、選択してるんで」
「餃子も嫌いな人が少ないって理由でやってるから、大保険なんですよ。餃子で100人に1人くらいの知識の人間になって、あとはデザインとかそういう感度で100人に1人くらいの存在になれば、掛け算したら1万分の1の存在になれるよ。それがビジネスの最初の考え方」
4年間勤めた会社を辞めて起業の地に選んだのは、便利な駅前ではなく「岡山にしかない店が集まっている」という商店街の路地裏。何度も思索を重ね、大冒険とは対極の「大保険」をかけて船出を迎えた餃子世界は、守屋さん自身がオープン以来一度も「やっべ」と思ったことがないほどの人気店に成長しました。
さらには、その影響を受けて周囲に多くの飲食店が開業。オランダ通りの裏手というロケーションから、一帯は「裏ンダ通り」の愛称で賑わうようになりました。