「修理する側の特権なんですよ。その物とか人生とかをちょっと覗かしてもらったり」
そう語るのは、香川県高松市で靴・革小物 修理専門店「SPHERES GATE(スフィアーズ・ゲート)」を営む、星出雅澄さん・ちひろさん夫妻だ。
ヨーロッパなどの外国であれば、代々受け継がれたバッグや靴の修理店は地域とつながっている印象を誰もが持つはずだ。そういう雰囲気を持つ店が無かったと語る高松市に、東日本大震災後の2013年に移住。この店を開業した2人に、大切にしているコアを聞いた。
靴修理の世界にのめり込んだ
道路沿いに構える店舗には大きな窓があり、付近の通行人がたまに店内を覗きこんでくるという。中を見ると、そこは修理工具や機械、革靴などがセンス良く配置されており、まさに外国を彷彿とさせる雰囲気だ。
雅澄さんが靴修理に出会ったのは大学4年生の頃。
「靴自体には興味ありましたけど、それを仕事にしようと思ってなかったんですけど」
いざ就職活動をするとなると、毎日デスクワークをするイメージが全く湧かず。探し続けていると「修理」を一番かっこよく見せていた東京の靴修理専門店が目についた。「アルバイトから正社員登用あり・初心者歓迎」の募集を見て、アルバイトで入社。しかし、1か月ほどで正社員に登用され、毎日終電ぎりぎりまで働き、技術を叩き込んだ。
その店舗で出会ったのが妻のちひろさん。舞台のような華やかな感じが好きだと実感していた頃に、
「たまたまめちゃくちゃかっこいい店が見つかって、本当にたまたまそこが靴修理屋さんで」
このような流れで靴の世界にのめり込んでいった。
その後、舞台などを多く見るようになると、この世界で働きたい、「シルク・ドゥ・ソレイユで絶対働きたい」と思い、本社のあるカナダ・モントリオールへ単身渡った。
勢いよく海外へチャレンジした矢先、なんと日本に専用劇場ができることを知り、悩んだ挙句に帰国して面接を受けた。当時、衣裳部には靴を作る人が一人もおらず、靴の修理経験を持つちひろさんが採用されたのだ。まさに靴でつながった瞬間だ。
その後、東日本大震災が原因で日本から撤退するまでの4年間、シルク・ドゥ・ソレイユで靴の責任者として働いた。
震災は、考えを変えるきっかけに。もともと地方移住の希望は持ち合わせていた。
2人で移住先候補を探し始めたところ、以前、瀬戸内国際芸術祭を訪問したこともあり、また自然と街のバランスが適度に取れていて、自分たちが思い描くような雰囲気の靴の修理店が無かったことも相まって、高松の地へ移住し、開業までしてしまったのだ。
とらえ方がみんな違う価値、豊かさ
「(顧客層は)バラバラですね。本当に広いんですよ。本当に謎なんです」
開業後、約8年が経過した現在の店舗。口コミが口コミを呼び、さまざまな顧客層から支持を得るようになった。ビジネス用の靴だとか婦人用のブーツだとか何かのカテゴリに偏ることなく、修理を希望して持ち込まれる靴は本当にさまざま。
ある時、お下がりの制服の袖丈を修理した際、何度も袖丈を直している糸の跡があり、紫色の糸で直したことを伝えると、依頼主はとても感動したそう。
「価値の持ち方っていうのがみんな違うと思うんです。自分だけの付加価値」
お金では買えない、そういう価値の持ち方ができるのが豊かさと考え、他には代えがたいと語る。
コロナ禍での変化と不変
コロナ禍において、飲食店やアパレルなど店舗型の経営形態には厳しい時代となった。
靴修理においても同様であり、不要不急の外出を控える気持ちが高ぶった2020年4月、5月は大きく来店者が減った。アパレル業界と連動する部分があるため、外出を控えて衣類が売れなくなると、修理しようという客も減る。そこで雅澄さんは4月には製作系の仕事を進めるという発想に重きを置いた。
ところが6月以降はまた元の状態に戻ったそうだ。利用客の「落ち着いた頃に修理に持っていこう」という気持ちが働いたためだ。
また、コロナ禍であるがゆえに、東京など遠方から修理を希望する靴がまとめて送られてきたということも。
「『あ、こんなの持ってたんや』みたいな人は増えましたね。」
全国的に外出を自粛し「おうち時間」が増えたことで、人々が一旦自分を見つめ直す時間も増えた。
新しい物を買わなくなると古い物に目が行くようになったり、家にいるとクローゼットやタンスを整理する人も増えたりといった動きに連動したのではないかと、ちひろさんは話す。
コロナ禍でも動じず、今、自分たちにできることを粛々と丁寧に取り組む姿勢が、リピーターやファンが注目する原動力なのかもしれない。