新型コロナウイルスの影響で、外出の自粛が呼びかけられるようになった2020年も、間もなく終わりを告げようとしています。「新しい生活様式」に息苦しい思いを抱えて過ごしている人は、決して少なくないでしょう。
社会生活を送るうえで欠かせない「移動」という行為が控えられていることは、交通や観光といった産業の置かれた状況を見ても明らかです。
こんなときだからこそ目を向けたい娯楽のひとつが、「密」なスポットや長距離の移動とは無縁の「街歩き」です。今回、話をうかがったのは、関西大学社会学部の永井良和教授(60)。
ゼミ生を率いること四半世紀、崩れかけた看板、雑草のからみついた自転車といった、無意識に通り過ぎてしまいそうな少し変なもの、そして移ろいゆく街の表情を写真やメモに残す「課外活動」を続けてきました。
自身は「単に歩いたら済む話やねん」と笑いますが、そこには見慣れた風景を「おもしろがる」ための、ちょっとしたコツが必要。永井流の「テクニック」と、アフターコロナにおける街歩きの展望に迫ります。
1960年、兵庫県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程を学修退学し、京都大学文学部助手などを経て、1999年から現職。フィールドワークと歴史研究の両輪で、都市社会学・大衆文化論を論じる。主な著書に『定本 風俗営業取締り』(河出書房新社)、『ホークスの70年 惜別と再会の球譜』(ソフトバンククリエイティブ)、『南沙織がいたころ』(朝日新聞出版)など。
誰でもできる。生涯続けられる。街歩きの魅力
「歩くこと自体はできるようになってるんですね」
インタビューの冒頭、永井先生はこのように切り出しました。ただし、先生が出かけていく先のほとんどは、著名な観光地や名所旧跡ではありません。近場の商店街や公園、何気ない路地裏など、人々の暮らしが息づく街なかを行き当たりばったりに訪ね歩くのです。
20人以上のゼミ生を引き連れての街歩きは、さすがに中止を余儀なくされていますが、2、3人程度の少人数、あるいは単独なら、むしろ密な状態を避けられることが、永井流街歩きの大きな特徴といえるでしょう。
加えて、外に出て移動することは、人間である以上は避けては通れない行動。街歩きは、誰にでもできる生涯の楽しみ、言い換えれば一生の付き合いという性格も併せ持っているのです。
「高度なものにチャレンジする必要はないし、記録を競うわけでもない。要するに誰でもできる。生涯できる。これが大事や」
「ビギナーでもおもろいもん見つける可能性あるんがええわけよ」
マニアックに特定の分野を突き詰めることは、ともすれば閉鎖的なコミュニティを生みがちですが、街歩きの門戸はとてもオープン。とはいえ、ただ漫然と歩いているだけでは、「永井流」は成立しません。
いったいどのような視点を持てば、なんの変哲もない街角がおもしろく見えてくるのでしょうか。そのわけを尋ねてみると、自身が大切にしている3つのポイントを教えてくれました。